ぽってりフラワーぽってりフラワーぽってりフラワー



一様  覚悟はしていたものの

やはり 色々な 患者さんが 入院されている。

。。。

この 窓側のベットのお部屋には

先着さんが もう一つ 反対側の窓際ベットに入院されていた。

引っ越して来るなり、その70歳になる 方は
私のベットに来て、

「貴方 何処が悪いの?」と聞いて来た。

何となく普通だったら、「あらこんにちは、私OOと言うのよ、ヨロシクね」
辺りから始まって、まあ最初は無難に
「どこからきたのー?とか、私OO日から 入院しているのよ」 辺りの会話から入るのが無難何だと思ってたのですが。。。

ちょうちょ



私個人としては、別に他人のプライバシーに入る気は到底無いので、おはようございます。程度の挨拶位で
よっぽどお互い 長い入院になったら もう少し 会話を交わしても 良いと思ってたけど。

。。。


さすがに、いきなり、貴方どこが悪いの?って聞かれて、、、、ほほー そう来るのね。。。。と感じた。


別に 嘘つく事もせずに、肉腫って言う癌よ。と答えた。


さーて、さて。。。。

そこから、捕まった!

70歳の そのおばあちゃん。

矢継ぎ早に これぞとばかりに

機関銃の様に 話し始めた。

。。。

ヘルニアの手術をされて、仕事を辞めざる追えなくて、退院した後の生活が出来ない。子供は居ない。7人兄弟の6番目で、親からは女は教育を受け無くて良いと育てられ、男尊女卑で、親が選んだ夫と結婚させられ、DVで酒乱でママっ子な夫から暴力を振るわれながら全ての自由を奪われて生活し、1番上の兄とその嫁のどーのこーの。


そうなの。。大変だったね〜。苦労されたのね。
良く頑張ってきたわね〜。と私もおばあちゃんを励まして、その苦労をねぎらった。


お昼御飯が来て、食べてる最中も、
この御飯、どーのこーのねえ。モグモグ。。。
と、カーテンの後ろから話しかける。

私は疲れてたので、少し横になってると。

私ねえ、俳句とか、短歌とか、ダジャレを作るのが好きなのよ〜と言ってカーテン開けてやって来た。

4人部屋で、このおばあちゃんと私しか居ないので、なんだか、遠慮ないみたい。。。


私は 横になったまま、おばあちゃんの作品を聞いていた。

其れから、先程の身の上話を又 1から 始めた。

。。。

おばあちゃん、どうやら 認知症が 入ってるみたい。

。。。

そーなの、大変だったね。よく頑張ったね。
先程と同じ 労いをした。

おばあちゃん、トイレに行って、帰って来た。

。。。

私ねえ、、、3回目の リピートが 始まったおばあちゃん!!

内心、こりゃ参った!と思った。

私はMRIに呼ばれて お部屋を出てMRIに行ったけど
まさか、こんなMRIで 死にそうな経験をする事になるとは、思いもしなかった…

通常MRIは 30分ぐらいだけど、腫瘍の範囲が広いので 1時間チョット掛かった。

初めは寒かったMRIの部屋も、あのドームに入って暫くすると、全身から汗が流れ落ちて、まるで50度の熱いサウナ状態になって来た。
しかもチョット厚着をしてしまった私は
暑くて暑くて水分欠乏症になり、血圧もどんどん上がり、なかなか終わらないMRIの中で、今にも気を失いかけた。

余りにも辛いので、一旦ドームから出して貰い、上にかけてた毛布を取って貰い、靴下も脱がせて貰った。
しかし、位置を動いてしまうと最初からもう一度やり直しになってしまうので、厚手のトップは脱ぐ訳にはいかずに、厚手を着たまま 更にMRI続行となった。

検査時間が普通の倍以上だった為に、MRIの中の温度は上がったままで、ギギギギ、ドドドド、ガガガガ、ばばばば、キンコンガンコン、ビー、ゴゴゴゴ、ブブブブ、もう本当に私の限界に達していた。

その辛い中、暗記していたお経を唱え、般若心経を唱え、ありとあらゆる知ってる限りのお経を思い出し唱えて、弘法大師様を思い出し、兎に角、生きてこのMRIから出られるように、ただただ 祈った。。。

。。。

。。。

長かった〜

。。。

はい〜 終わりましたよー

の声が かすかに 聞こえた。

。。。


私は ぐったりだった。

頭は頭痛で ガンガン、吐き気はするし、へっとへと。

その場で 倒れそうになるくらい、立ち上がれなかった

。。。


まさか、まさか、こんなMRIで死にそうになる何て。

。。。

部屋に戻ると、おばあちゃん早速やって来た。

。。。

4回目のリピートが 始まった。

。。。

健康だったら、何回でも 付き合ってあげるけど
さすがに さすがに 無理だった。

。。。

おばあちゃんは、4回目のリピートでも
退院した後の生活の厳しさを、嘆いていた。
70歳では、仕事を見つけにくい。体力的にも
直ぐには働けない。2週間の入院で思った以上に
お金が掛かった。頼る人も居ない。

私は余り詳しくは 日本の福祉の事を 知らないけど
色々なブロ友さんの 情報から得た 福祉に付いて
おばあちゃんにお話した。年金に付いても。

市役所に行くと、色々教えてくれるよ。と。

そして、こう言った。

おばあちゃん、そんなに 不安なら、私 おばあちゃんにおこずかいあげるよ。

勿論、認知症と言えども、さすがにおばあちゃんは断って来た。 見ず知らずの人からそんな 貰う何て。

母に上げるような おこずかい 程度 だから、気にする事は無いよと私は言った。

お仕事始めたら 返すから、 住所と名前を教えて欲しいと言って来た。

私は言った。。。私に返す必要は無いから、どこかで困ってる人に出会ったら、おばあちゃんの出来る限りの優しい言葉をかけてあげて、何かその人にお手伝いをしてあげれば、其れで良いわよ。

私は見返りなんか、求めてないから。
私の善なる行為を受けたら、おばあちゃんが誰かに善なる行為をすれば良いから。そうすれば、善の連鎖になって、世の中も良くなるし。

弘法大師様もそうして居たから。
病人を救った時に、自分に御礼を返さなくて良いと。貴方が身の周りの誰かが困った時に、その人に優しく接して、出来る範囲で助けてあげれば、其れで良いと。


おばあちゃんは 泣き出した。
色んな人に裏切りられて来たけど
こんな 見ず知らずの 人に 優しくされる何て。。

おばあちゃんの 本当の 金銭的事情何て 知らない。

でも、独り身で、年を取り、誰にも頼れずに、
おこずかいをくれる人なんて 今迄に 居なかった。
病気になって、通院やお薬代だって掛かる。
不安は山程あるだろう。その不安な気持ちは良くわかる。

クローバー


私もシングルマザーで 日本の親には 頼った事は無かったけど、人生何度も、金銭的危機には遭遇した。
でも、本当に崖っぷちで 何とかなって来た。
この度の、急な帰国と入院。行き当たりバッタリだったけど、実家に潜り込ませて頂いて、病院にも車で送って貰った。色んな人に助けて貰った。


叔父には入院お見舞い金 何て物も頂いた。
アメリカには、そんなの存在しないので、ビックした。

おじちゃんは、母と同じ年なので、勿論年金生活。
だから、大丈夫だから 要らないよ。って言ったけど、これをあげないと、女房に怒られるから。と言って、兄も くれるって言うんだから、貰っておけと。



有り難く頂いた。



。。。



アメリカでは、ヘルプし合う行為は結構日常茶飯事。

道端でダンボールを持ってヘルプをお願いしている人達を良く目にする。
自分の管理が悪いからとか 自分がドラッグに溺れて身を転じたとか、色々ある。
お金をあげるから、尚更働かないんだ!
と言う見方もある。

けれど、共通しているのは、幼少の頃からの家庭環境における、不運であると思う。

だから、少しのスペアーが有れば、ちょっとサポートしてあげる。
無ければしない。ある時だけでいい。出来る時だけでいい。ドーネーションや、ボランティアも同じ事。


善意は 徳 となって 積み重なって行く。

徳が積み重なって、その徳は 子々孫々に 流れて行く。

お金、地位、名誉や財産は あの世には 持っていかれ無いけど、積んだ 徳は 持って行かれる。

先祖が積んでくださったお徳のお陰で、ラッキーにも今日 生かされている。









栄養士さんとお話しした後に決まったメニュー。

朝はパン。昼は麺類。夜は皆さんと一緒。

極力、糖分を控え、野菜多目。

お素麺、お昼に 美味しく頂きました🙏

ご馳走さまでしたニコニコ



ふんわり風船ハートふんわり風船ハートふんわり風船ハート