夫が脳卒中で倒れたときに、すぐに家族が駆けつけてくれた。
もちろん夫の両親・姉は来て、手術中に待機してくれたり、一緒に心配してくれたが。
私の両親・妹も来てくれた。
私の家族は、もちろん夫の心配もしてくれたが、それ以上に私の心配をしてくれた。
私が手術や入院のことで頭がいっぱいで、尚且つ突然の出来事に食欲も失っていたので、
犬の散歩、食事の準備、家の掃除など、色々と手伝ってくれた。
本当に助かった。
頼れる家族がいて本当に良かったと感謝した。
家族がいなく、一人だったら私も一緒に倒れてたかもしれない。。。
それから数か月。
夫は回復し、ほぼ元通りの生活に今は戻っている。
夫が退院してから私の家族は来ていないので、まだ夫の元気な姿は見ていない。
それもあり、今月の夫の誕生日に食事に行こうと言ってくれた。
その瞬間から始まった。
なぜ家族に対してイライラする。
すごく感謝していたはずの家族がうっとうしくて仕方ない。めんどくさい。
なぜか分からなかった。
そこで自動書記で原因を尋ねてみた。
イライラしてしまったのは家族に頼ってしまったことに罪悪感を感じているからとのこと。
弱い自分、人に頼ってしまう自分が嫌いだから。
自立しているほうが安心・安全な気がするから。
それで身体的・心理的な負担を家族が肩代わりしてくれて罪悪感を感じ、家族が嫌になっていたようだ。
けど逆の立場だったらどうか?
家族が困っているときに助けよう、手伝おうと思う気持ちは当たり前であって、特に見返りのことなんて考えない。
これは家族のことを愛しているから、愛を表現しているだけだ。
ということは、家族は私に対する愛を表してくれていたということだ。
けど、私はそれを受け取ったものの、受け取ったことを後悔するような罪悪感を感じていた。
いや。
私は愛を受け取る価値のある人間だ。
罪悪感なんて持たずに誰からも愛を受け取って良いのだ。
そして、愛を与える価値のある人間でもあるから、惜しみなく誰に対しても愛を表すべきだ。
なぜなら、そもそも私たちはみな愛の存在だから。
愛こそが唯一の真実。世の人間・動物・植物みんな価値ある愛の存在。
一見他者に依存しているような、自立できていないような錯覚に落ちるし、それがよろしくないようなことに思えるが、「愛」に関しては依存も自立もない。
ありがたく受け取り、惜しみなく与える。
愛を循環させることこそが私たちの人生の宿命。
そこが滞るとは、氣が滞ることで、人生・生活・身体に色んな不調が出てくることになる。
毎日意識的に愛を循環させるべし。
身近な人から、真っ赤な他人にも。動物も植物も。どんなものも。
ためらわず愛をもらい、愛をあげよう。