先日イエスとブッダについての本を読んでいると書いたが、そこから得たことを一つ紹介したい。
≪先日からの抜粋≫
このワンネス概念についてGary Renardさんがこの本に綴っている。
本(英語):The Lifetimes When Jesus and Buddha Knew Each Other
(日本語):イエスとブッダが共に生きた生涯
イエスとブッダはソウルメイトで何度も一緒に生まれ変わり友人や兄弟として互いに高めあい少しずつワンネスを経験し、最終的にイエスとブッダとして生まれワンネスを体現するという、この二人の魂の歩みについての本である。
私たちが今経験していることは幻・夢に過ぎなくて、ワンネスこそが真実であること。
*****
この本の中で何度も登場する『奇跡のコース』という本はイエスをチャネリングして書かれたそうだが、ワンネスの実現について綴られているとのこと。
(いずれ読みたい一冊)
私たちはそれぞれ人間という個々の存在と錯覚しているが、実際には天・精霊・神(言い方は色々あるが)の一部というか、本当は一つである。
これがワンネスという概念。
そしてワンネスのみが真実であり、この世で個々として存在していることは幻想・夢である。
今私たちが経験していることは全て嘘ということ。
そして、ワンネス=愛。
自然災害も嘘、仕事の失敗も嘘、親の重病も嘘、夫婦喧嘩も嘘、コロナも嘘、先輩に言われた嫌味も嘘、自分の大怪我も嘘。
全て嘘なら、心配も、怒りも、憤りも、焦りも、否定も、疲れも、罪悪感も嘘。
この世の困難、ネガティブは全て嘘、私たちのエゴから作り出されている幻想。
エゴ=恐れ。だから。
イエスは何回もの生まれ変わりを経て、経験を積んで、最終的にイエスとして生まれた生涯では人間でありながら、完全に・常にワンネスを実現できた。
この世がすべて嘘であることも完璧に理解できていた。
そのため、未来は見えたし、物質を操ることができたし(水の上を歩いたり)、奇跡としか言えないヒーリングを行えたし、十字架に打ち付けられても痛くなかったし、死を恐れなかった。
常にワンネスだと、生も死もないからだ。
この世で色んな嫌なこと、理不尽なこと、不公平なことが起きても、それは嘘であるからそれを「許す」。
嫌なことを言われても、それは幻想であり嘘だから、許す。
それは相手の本来の姿ではなく、真実は愛だけだから。
すべてのネガティブは「許す」チャンス。
なぜネガティブなことが起きたのか、どうしてネガティブな感情を持ったのか、どこからネガティブな考えが湧いたのか、ネガティブの原因を追究する必要もない。
ただただ許す。嘘だから。
ここでスピリチュアルな道を歩む人が陥りやすい落とし穴がある。
この世がすべて「嘘」ならば、ただ許し続けて何も努力しなくて良いのか?もしくは、逆に、何をしても良いのか?
身体に良いものを食べたり・運動したり、仕事してお金を稼いだり、勉強して上を目指したり、困った人を助けたり。しなくても良いのか?
逆に、人をいじめたり、ものを粗末に扱ったり、自分を傷つけたり。しても良いのか?
これは違う。
イエスのレベルに到達すれば、(恐らく)むしろ努力という概念がなくなると思う。
嘘の世の中で何かが必要になれば、思っただけで現れるようになる(引き寄せの法則を瞬時に使えるようなイメージ)。
ちょうどお腹が空いたときに昨日手助けした近所のおばちゃんがおにぎりがお裾分けしてくれるような、人生がすべてシンクロのような。
そして完全にワンネス(=愛)で精霊と一体化しているから、精霊・愛に従ってしか行動をしない。
けど、私たちはイエスのレベルではなく、ワンネスを感じたことすらないかもしれない。
シンクロはたまにしか起こらないかもしれない。
そのイエス・レベルに到達するまでは、私たちは地道に嘘を許しながら、なるべく愛ある行動をとり、ワンネスを目指していくしかない。
イエスが何回も生まれ変わってイエスになったように、私たちも少しずつワンネスへ近づいていく。
焦らず、マイペースに、今できることをやる。
難しい内容でうまくここに表現できたか自信はないが、、よかったら本を読んでみてください~