このブログでは
100年前のスピリチュアル本
The Game of Life and How to Play It
(フローレンス・スコーヴェル・シン著)
を私なりに翻訳、考察しながら
100年前から分かっていた
いえ、キリストの時代から
分かる人は分かっていた
この世の中を楽しく、心穏やかに
生きていくためのルール
をお伝えしています。
今日のテーマは
子どもの教育
についてです。
自分の問題は達観できても
子どもの問題になると
悩みが尽きなくなってしまう親御さんは
とても多いのではないでしょうか。
かくいう私も子どもの問題には
いつも心をかき乱されてしまいます。
とりあえず有名大学に入っておけば安泰
みたいな風潮がまだ根強く残る中
我が家の子ども達は
敢えてそうではない道を
選んでしまったから
さあ大変。
最善の選択をしたつもりでも
選んだ道が本当に将来の子ども達の
自立につながるのか不安になり
本当にこの道で正しかったの?
と心が揺らいでしまう時が多々あります。
そんなときは
難関高校、有名大学に
子どもを合格させたママ達の話が
勝利宣言のように聞こえてしまったり
ドラゴン桜の
「バカとブスは東大に行け」
と言うセリフが頭にこだましまたり。
私もまだまだ未熟だな~
と感じてしまいます。
それもこれも
私の心の不安が作り出している幻想だと
分かっているのですけどね。
さて
The Game of Life and How to Play It
の中では、子どもの教育について
どんな風に書かれているのでしょうか。
今日もゆるっと翻訳で見てみましょう。
職業や進路を親が決めない
親は決して子どもに
職業や進路を押し付けるべきではありません。
あなたに霊的真理の知識があれば、
子どもが幼少期
または出生前でも
子どもにとっての神の計画を
求めて祈ることができます。
お子さんが生まれる前であれば
こんな風に祈るといいでしょう。
「この子の中の神性が
完全に表現されますように。
この子の心、体、人生を使って
この子の人生を通して、永遠に渡って
神の設計図が具現化されますように。」
人の意思ではなく、神の意思が実現するのです。
すべての聖典に共通して流れている指令は
神の計画であって、人間の計画ではありません。
そして「聖書」は、心の科学を扱った書物です。
聖書は、人間が魂(あるいは潜在意識)を
束縛から解き放つ方法を教える為の書で
そこに描かれる戦いは、
人が人間的思考と闘う姿を象徴しているのです。
人の敵はその家の中にいる者たちである。」
(新約聖書『マタイによる福音書』
第10章36節)
今日の感想
あ~そうですよね、やっぱり。
神の計画の前では
人間の浅はかな計画なんて
何の役にも立たないですよね。
様々な学びを通して
「神の計画」が本当にあることも
受け入れている私ですが
それでも、こんな風に
高学歴や高収入という
「3次元トラップ」に
ハマってしまうのは
まだ心の底に疑いの気持ちが
残っているんだろうな~
と思いました。
だからママ友の話や
身内からの
「子どもの好きなようにさせるなんて正気?」
という圧力もすべて
私の覚醒度合いを試す
バロメーターなのかもしれません。
私が子どもの頃
母は私に「公務員」になること
とりわけ「教師」になることを
何度も強く勧めました。
母は、お金に苦労したので
私にはお給料の安定した
地道な仕事をして欲しかったのです。
私は、母の思いは理解しましたが
どうしても「公務員」という選択肢が
受け入れられませんでした。
何がいやというのではありません。
これはもう本能的な物で
ずっと母に抵抗し続け
教員免許さえ取るのを拒みました。
それからいくつかの職を経験し
結局私は「教える」事を選びましたが
私は自由で柔軟なスタイルを好むので
「公務員」は務まらなかっただろうと
シミジミと感じます。
「神の設計図」などと言う考えが
微塵もなかった当時の私でさえ
自分が何を求めていて
何が性分に合わないのか
本能的にちゃんと感じられていたのです。
だからきっと、子ども達の方が
自分が何をするべきなのか
ちゃんと分かっているのでしょう。
私にできることは
子ども達が「神の設計図」から外れないように
祈ることだけなのだと気がつきました。