このブログでは
100年前のスピリチュアル本
"The Game of Life and How to Play It"
「ゲームの法則」
作 フローレンス・スコーヴェル・シン
をゆるっと翻訳したものを
私自身の実体験を踏まえた感想とともに
お伝えしています。
今日は、画期的な問題解決法についてです。
何かでとても困った時に、ジタバタするよりも
その問題から一旦少し離れて運を天に任せると
勝手に問題が解決していく・・・
皆さんにもそんな経験はありませんか?
私には何度か、思い当たる事があります。
今日は二つの事例と
キリストの教えを通して
このことについて学んでいきましょう。
数分で問題解決!大きなピアノの置き場所をめぐる事例
聖書には
「あなたのうちにあるキリストこそ、栄光の希望である」
と書いてあります。
例を挙げましょう。
私の生徒の一人が新しいピアノをもらいました。
けれども、スタジオの中の古いピアノを出さなければ
新しいピアノを置く場所がありませんでした。
彼女は困惑した状態にいました。
古いピアノも残したいけれど
それを置く場所が無いことも分かっていました。
彼女はだんだん途方に暮れてきます。
新しいピアノはすぐに到着予定で
実際のところ、既に配当中だというのに
置き場所が無いのですから。
そのとき、彼女はふと
「私はこの重荷を内なるキリストに委ね、自由になります」
と唱えてみようと思いつきました。
それで、その言葉を繰り返し唱えたそうです。
すると数分後、電話が鳴りました。
知りあいの女性が、
「あなたの古いピアノをレンタルさせて頂けませんか?」
と聞いてきたのです。
そうして、その古いピアノは
新しいピアノが到着する数分前に
スタジオをから運び出されたのです。
恨みを手放して楽になった事例
知人に「恨み」という重荷を背負っている女性がいました。
彼女は
「私はこの恨みという重荷を内なる神に委ね、自由になります。
そして愛と調和と幸せを生きられるようになります。」
と言いました。
すると
偉大なる超意識が彼女の潜在意識を愛で満たし
彼女の人生全体がすっかり変わってしまいました。
長年、恨みが彼女を苦しい状態にとどめ
魂(潜在意識)を縛り付けていたのです。
宣言の言葉は何度も何度も繰り返し言うべきです。
時には1度に何時間も
心の中で言ったり、声に出して言ったり
静かに、でも決意を持って唱える必要があります。
私はよくこれをオルゴールのゼンマイをを巻き上げる事に例えます。
私たちは言葉の力で自分自身を巻き上げなければならないのです。
ところで、私はある事に気がつきました。
「重荷を委ね」ていると、しばらくしてから
物事をはっきりととらえられるようになっていくようなのです。
人は、世俗的な思考の葛藤の中にいる間は
物事をはっきりと捉えることはできません。
疑いや恐れが心と体を蝕み、想像力が暴走して
災いや病を引き寄せてしまいます。
でも、
「私はこの重荷を内なるキリストに委ねて自由になります」
と繰り返し唱えていると
物事をはっきりと捉えることができ
それによって安心感が得られ
遅かれ早かれ、健康、幸せ、豊かさといった
良いものを現実化できるようになるのです。
今日の感想
先日、暇つぶしに子どもの数学の問題を解いていました。
ところが、しばらく軽やかに問題を解いていると
1問、どうしても分からない問題にぶつかりました。
他の問題は、つまずいても解説を見れば
すぐに理解できるのですが、
その問題だけは解説を見ても全然歯が立ちませんでした。
私は、時間がなかったこともあって、
その日はそれでおしまいにして
仕事をしたり、家事をしたりして過ごしました。
そして翌日、スッキリとした頭で
もう一度その問題に挑戦してみたのですが
前日にあれほど苦労したのがまるでウソのように
解法が頭にひらめいて、
難なくその問題を解くことができたのです。
子ども達の前でとある発表をするときにも
同じような事が起こりました。
私はその発表のために
長い時間をかけてセリフと動きを覚え
一生懸命練習していたので
自分なりに手応えを感じていました。
ところが、子ども達の前で発表する前に
大人の前でリハーサルをしてみると
「イントネーションが違う」
「表現がイメージと違う」
「メッセージが伝わらない」
など細かい指摘をたくさん受けてしまいました。
それから発表本番まで
2週間ほどあったのですが
私は、指摘されたところを直そうとすればするほど
自分の表現が分からなくなって
すっかりイヤになってしまいました。
そこで私は一旦この問題から距離を置くことにして
1週間も練習をサボりました。
そうして本番1週間前になり
そろそろ本気で練習しなければ、と
重い腰を上げて練習を始めてみると
他の人に指摘されたポイントを
素直に受け入れることができるようになり
自分の表現を保ちながら、
より伝わりやすい表現を追求することができたのです。
このように、うまく行かないときは
ジタバタと動けば動くほど
潜在意識からネガティブな意識がこみ上げてきます。
「できない」「だめだ」「ばかだ」「いやだ」
そして、一旦、こういう思いに捕らわれてしまうと
いくら練習してもうまくならず
「できない」「だめ」と言う思いがどんどん濃くなります。
私はそんなネガティブな自分を知っていたので
「サボっている」という思いをぐっと抑えて
敢えて休むようにしていました。
でも、この話を読んで
私がしていたことはまさに
「戦いは神のもの」
として自分で戦うのではなく
神に委ねる行為だったのだと気がつきました。
今までは、
ちょっとした罪悪感と戦いながら
これをやっていましたが
真理を理解した今
堂々と「休ませる」という行為を遂行したいと思います。
今日も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。