言葉というのは
想いを伝えるには
あまりにも不十分な道具です。
理由の1つは
言語はいわば
デジタルデータだということ。
赤と青の中間は紫、
赤と紫の中間は赤紫、
では赤と赤紫の中間は
とやっていくと切りがない。
結局言語は
四捨五入して近似値を扱うようなものなので
感情をアナログ的に表現することは
決してできない。
そしてもう1つの理由は
人間は自分の気持ちを
完全には理解していないからです。
脳科学的に説明すると
視覚は網膜に映った光を
まず点として認識し、
点の集合として線を認識し、
線の組み合わせで図形を認識します。
更に図形の組み合わせによって
文字や人の顔などを
認識しているのですが、
漢字はどんな部首が使われているとか
顔はどんな目鼻立ちかはわかっても
それを点の集合として認識し
線の傾きやカーブの曲がり具合などは
目をこらして意識を傾けないと
わからない事が多い。
脳は物を点として認識し
点の集合として線を認識するのですが、
そういった認識に必要な作業は
すべて無意識的にやっていることなので
自覚はできません。
だから好きな理由はわからない。
好きという感情は
脳の作用によって
作り出されるものですが、
何を見て
それをどのように認識して
その感情が生まれたのか、
途中の計算式は
見ることがでない。
意識が知っているのは
答えだけなんです。
なので
私はこの人が好きだ
というのはわかっても、
好きだと感じる理由は
脳が無意識的に判断していることなので
自覚できません。
言葉は意識が生み出したものなので
意識的に扱うことができますが、
感情というものは
脳が無意識的に判断した結果によって
生まれてくるものなので、
意識的に感情を説明することは
とても難しいといえます。
でも、
言葉にしないと伝わらない想いも
ありますよね。
心は目に見えませんから。
たとえ言葉がデジタル的なもので
心そのものを
表現できないものだとしても、
同じ時間を過ごし
同じ経験をしてきた人ならば、
理解できる部分も少なくないと思います。
それについては
外野の私が口を挟む必要などないでしょう。
(^_^)