雨宮天ちゃんの最新アルバム「Ten to Bluer」が、寿美菜子ちゃんの3rdアルバム「emotion」みがあると聞き、リリースから6年経った今、一部の楽曲たちについて改めて考えてみようかなと思う。


お決まりではあるけれど、このブログの内容は私個人の見解であり、必ずしも正しい解釈ではないということをご了承いただきたい。


また、最近読んでいる本たちに影響されて、このような文体になっていることについても、重ねてご理解いただきたい。笑




3rdアルバム「emotion」は、彼女にとって初めての作詞曲が6曲も生まれた、力強く、多彩な1枚。

当時も完成されたアルバムだなという印象が強かった。

中でも、次のステージへの意思を表明するラストナンバー「Piece of emotion」は

今でもその熱を強く感じさせる大切な1曲だ。


私にとって"歌"というのは、歌詞とメロディだけで構成されているものではなく、その人の人生も引っ括めてのものだと思っている。

むしろ、それ無しには完成しないものだとも思っている。

こんなブログを読もうと思う人なら、そんなこと当たり前だろうと思ってくれているのかもしれないけれど。


私は歌手本人の作詞曲というのが本当に大好きで、少し拙くても、その人のありのままを表しているから、なんというか嘘がなく、その歌を、言葉を、心から信じられるなって思う。


近年「エモい」という言葉が浸透し、私自身もいつの間にか簡単に口にするようになってしまった。

"なってしまった"というのは、元々「エモい」という言葉の重みについて、私がこだわっていた時期があったからだ。


こんなことを話すと鼻で笑われるかもしれないが、「軽々しくエモいなんて言えない。」一時は本当にそう思っていた。

サウンド的な意味での"エモさ"を指しているのであれば気軽に使ってもいいけれど、その歌の物語を含めての"エモさ"なのであれば、せめてその歌手がどんな人なのかを知るべきだと考えていたからだ。




「Ambitious map」は、まさに彼女の好奇心旺盛で、アクティブで、衝動的な一面を表現している1曲だ。

アーティスト寿美菜子としての"武器"(※スフィアさんが話しているMOON SIGNALと同じ立ち位置)という意味での自己紹介曲は「girly highester!」だと思うが、本来の意味での自己紹介曲を挙げるとするなら、私はまず初めにこの曲を選ぶだろう。


6年前の曲ではあるものの、私の中では1周まわって"ここに帰ってきた"という感覚がある。

もちろん、一歩進んで一歩下がって来たということではなく、むしろ百歩くらい進んでいるのだけれど。

そうやってまたここに帰ってきてくれたことが、私はすごく嬉しい。

はみ出しても大丈夫。



「Sun Shower」は、ちょうどこのブログ記事を書いている時に新しい衝撃を受けた1曲だ。

私はふとした瞬間、この曲に1stEP「Curious」の「Sense of Wonder」を重ねていた。

元々「Sun Shower」は、彼女の学生時代の気持ちが反映されている曲だが(※部分的に客観的であろうということは理解している)、もどかしさに振り回されても進んでいこうという意思は両曲に共通していると思う。

違いがあるとすれば、そうやって振り切って進むための方法が明確になった点だ。

曲調やシチュエーションについては一旦置いておくとして、"子どもの頃の私"と"大人になった私"とで、歌詞の中身だけでもその成長を感じる事ができる。

「Sun Shower」からは、『悲しくても苦しくても、とにかく進んで上を向けば、きっと明るい未来が道の先にあるんだよ。』と、どこか闇雲に、無理矢理にでも自分を鼓舞して明るくしようとする様子がうかがえる。

しかし、「Sense of Wonder」では前を向くまでの心の道程が丁寧に描かれている。

特に素晴らしいなと思うのは、自分の心にしっかりと向き合っている、ということだ。


("私は"どう思ってる?)

("私は"どうしたい?)


周りの人間や環境に振り回されている状況下では、自分の心の声を無視して周りに合わせようとしてしまう人が多いと思う。

そんな時に一度立ち止まって冷静になり、自分自身にきちんと問いかけることができているのは、成熟した大人の証であると私は思う。

とても主観的な立ち回りであると同時に、どこまでも客観的になれる行動だ。


ところで、もう少し「Sense of Wonder」の話をすると、インタビュー等で話している通り、元々この曲は「Imperfect」という、「完璧じゃない」「不完全な」という意味を持つ曲名で制作されるかもしれなかった。



完璧超人に見られることが多い彼女だけれど、

他者にその完璧さを称えられているとき、いつもほんの少しだけ残念そうにしているように感じる。

そういう雰囲気を感じとっている時、いつも優しく抱きしめてあげたくなる気持ちが湧き上がってくる。


完璧であることが好きなのか、不完全な部分も愛せるのか、人によって違うと思う。

特にアイドルのような立ち回りをしている方々は、その存在が特定の人の崇拝対象になったりする。

"この人はこういう人だから好き"と、その人の一面だけを見て過大に、盛大に評価する。

だからこそ、異なる一面を見せた時"思っていた人じゃなかった"と思われてしまうかもしれない。

だから言うのが怖いし、反対に、どんな私でも受け止めてくれると思える人がいる安心感はとても大きいのだと思う。


相手に自分のことを話す時、誰しも僅かながらに"期待"をする。


私の話に同意してくれるかもしれない。

こんな私でも受け入れてくれるかもしれない。

私とあなたは同じかもしれない。


期待すればするほど、その期待が裏切られた時の悲しみは大きくなる。


理解されることは、人生の中で最も重要なことではないと言うけれど、そうは言ったって誰にも理解されない人生なんて、そんなの私は悲しすぎると思う。

これは私の個人的な話になってしまうが、私の母が「家族以外の誰かに、自分のことを理解してもらえないまま死ぬのはすごく悔しい。」と零していたのを思い出した。何か力になれることがあるはずだと模索中の段階だが、少しでもその願いを叶えてあげたいと思う。



少し内向きの話題になったところで「feel in my heart」の話もしてみる。

改めて気をつけなければならないのは、この曲はemotionの新曲たちの中では、どちらかというと"自分色"が薄い曲であるということだ。

普段、たくさん考えるけれど落ち込むことは少ないと話しているのも、この曲をフィクション枠で作ったことの裏付けになると思う。

ここで再び「Curious」の話を持ち出すと、「Chilling out」「feel in my heart」はどちらも落ち着いた曲の部類に入ると思うが、実は私自身が「Chilling out」でChillできたことがあまりなく…笑

理由は明確で、彼女自身の色が強い楽曲ほど、こんなふうに深く考えてしまうからである笑笑

そういう意味では、「feel in my heart」は逆で、基本かなりリラックスして聴ける曲だなと感じる。

一旦落ち切らないとどうにもならないなという時に聴くと、寄り添ってもらえている感覚があってとても心地がいい。

私も余程のことがない限りは基本ポジティブ人間なので、普段はシンプルにChillしたい時に聴いている。



さて、「I wanted to do」と「LOVE JOY FUN」については、"自分色"が最も薄い曲たちであるため、今回は無理に再考することはせず、今まで通りそのままを聴こうと思う。

こういう線引きは私の中でとても重要なのだ。

考えすぎるのも良くないし、根拠の無い深読みはまず、外れているものだ。

つまり、特に新しい発見はなかったということ。





ここまでemotionの楽曲のいくつかについて書き起こしてみたが、リリース当初は私自身に深みも経験も無く、ずっと子どもだったが故にここまで言語化できなかったなと思うと、こうやって改めて考えてみることはとても重要で、意味のあることだなと感じた。



あなた自身を一言で表すとすれば、何と答えるだろうか。


私はこうだ!と言える人もいれば、ひとつに絞れなくて迷う人もいるだろう。

さらには、自分が何者なのかわからず、答える事ができない人もいるだろう。


色んな自分がいて、色んな感情を持っていていい。

真っ直ぐに生きてもいいし、遠回りや寄り道をしてもいい。

大事なのはいつだって、自分がそうしたいかどうかだ。


そして、自分が与える影響なんて何も無いと思っている人がおそらくほとんどなのだろうが、そんなふうに思ってはいても、与える先にいる誰かは、あなたの些細な一言に傷ついたり、喜んだりしているものだ。

自分が誰かに与える影響、与える感情についてよく考えた方がいい。

小さなことでも積み重なれば、それはやがて、その誰かを突き動かすことになるのかもしれないのだから。