宮武外骨「滑稽新聞」の第80号まで、目を通したところ。

 

 

日露戦争は、継続中です。「滑稽新聞」でも、戦意高揚を目的とした記事が掲載されています。

ロシア皇帝「ニコライ二世」を揶揄するような記事が。

大津事件で、斬りつけられた時に残した、ニコライ二世の「手形」、そして、「血のついたハンカチ」、そして、「足形」ですが、この「足形」については、「地に足がついていない」ということで、白紙になっています。

 

そして、「滑稽新聞」が得意とする「ユーモア」も。

 

この、一面、黒塗りのページ。

タイトルは、「濃霧の中のウラジオ艦隊」です。

 

そして、これ。「霧」の中に隠れた「露艦」(ロシア艦隊)を探せというもの。

この中に、三つの「露艦」が、隠れています。

 

さて、上の二つの記事ですが、なぜ、ロシアのウラジオ艦隊が、霧に隠れているのか。

実は、この頃、ウラジオストックを拠点にするロシア艦隊が、霧に紛れて、日本の近海に出没。

日本の輸送船を、沈めるなどの活動をしていました。

時には、東京湾の目前に、姿を現わすこともあったようで、このウラジオ艦隊への対処を任されていた日本海軍、第二艦隊の上村中将は、大きな国民の批判を受けていたそうです。

上村中将の自宅には、多くの非難の手紙が、国民から届けられ、問題になっていたそうです。

今で言うなら、ネットの炎上といったところでしょう。

 

ちなみに、「滑稽新聞」では、上村中将に、非難の手紙を出すという行為を、批判する記事を掲載しています。

そんな馬鹿なことは止めろ、という記事。

 

この頃、まだ、「レーダー」は無いでしょうから、敵艦が、霧に紛れたり、地平線の向こうに見失ったりしたら、再び、補足することは難しかったのではないでしょうかね。

そのため、ウラジオ艦隊は、このような活動が出来たのでしょう。

 

また、「滑稽新聞」では、戦争で、高揚する日本の社会を揶揄、批判するような記事も、同時に、掲載しています。

 

一つは、戦死した兵士の「遺族」に関する記事。

 

やはり、当時、戦死した兵士は、「武士のように立派な人」で、その妻は、「賢母」と、讃えられていたようです。

果たして、これは、真実なのか。

「滑稽新聞」の記者が、遺族に、直撃取材をした記事が、掲載されています。

この記事、読んで見ると、相当に、面白いのですが、とても、事実とは思えない。

夫が、どんな嫌な男だったか、ひとしきり、こき下ろした後、「あんな男、死んでくれて、良かった」とか、「国から出るお金を貰ったら、早く、再婚がしたい」とか。

 

そういう夫婦が居たことは、間違いないことでしょう。

必ずしも、戦死した夫が、「立派な人」で、妻が、「良い妻」だった訳ではない。

 

一つは、「女学生」に関する記事。

 

どうも当時、女学生の間で、出征する兵士の中で、良い男を見かけると、近づいて話しかけ、自分の名刺を渡すことが流行っていたようですね。

そして、出征先から、兵士が、気に入った女学生に、手紙を送る。

手紙を受け取った女学生は、その手紙の数を、周囲に、自慢していたよう。

「滑稽新聞」には、こういう行為を、批判するような記事が、載っています。

 

そして、もう一つは、なかなか、面白い話。

 

夫が、戦死をすれば、その妻は、「未亡人」となる訳ですが、「滑稽新聞」では、この「未亡人」という言葉を、強く、批判する記事を掲載しています。

この「未亡人」とは、「未だ、亡くなっていない人」のこと。

女性に対して、こういう呼び方をするべきではない。

 

女性は、夫が生きている間は、夫につくし、夫が亡くなれば、髪を切って、貞操を守る。

男は、好き放題をしているが、女には、自由がない。

これで、女は、生きていて楽しいと言えるのか。

 

もっと、女も、自由に生きても良いのではないか。

夫が亡くなれば、再婚をするのも構わない。

法律でも、女の再婚も認められているではないか。

 

と、記事の中では、書かれています。

 

さて、世間は、日露戦争で、持ちきりですが、「滑稽新聞」では、もう一つ、この時期、大きな問題を抱えていました。

それは、警察を相手にした裁判です。

大阪府警の萩欽三という警視正の収賄事件を、「滑稽新聞」では記事にして、追及していたのですが、これが「官吏侮辱罪」として訴えられ、裁判になります。

訴えられたのは、「滑稽新聞」の主筆「小野村夫」ですが、この「小野村夫」は、宮武外骨のペンネームです。

そして、警察とのやり取り、検察とのやり取りもまた、「滑稽新聞」で暴露。

裁判の経緯もまた、「滑稽新聞」に、大々的に、掲載されます。

 

そして、小野村夫、こと、宮武外骨は、禁固6ヶ月の実刑となります。

宮武外骨は、盛大な送別会を開き、その様子も「滑稽新聞」に掲載され、入獄。

 

入獄後、宮武外骨は、独房に入れられ、毎日、刑務作業をしていたようです。

その様子もまた、「獄中日記」として、「滑稽新聞」に掲載される。

 

この、頭から何かが飛び出している人物は、小野村夫(宮武外骨)のキャラクター。

「滑稽新聞」では、頻繁に登場します。

 

明治時代の裁判制度が、どうなっていたのか、詳しいことは知らないのですが、宮武外骨が、入獄をした後も、裁判は、続きます。

その様子もまた「滑稽新聞」に掲載されるのですが、これが、常識外れの、奇妙な裁判になったようで、その様子も「滑稽新聞」に掲載されますが、この裁判の結果、禁固六ヶ月から、禁固三ヶ月に減刑されます。

解説によれば、裁判所が、「もう、これで、勘弁してくれ」と、思ったのではないかと、書かれていました。

 

ちなみに、この頃、タバコが、官営になったようです。

やはり、官営のタバコは、質が良いという記事が、掲載されていました。