宮武外骨「滑稽新聞」の第70号辺りまで、目を通したところ。

 

 

この頃、日本の社会では、中国で起こった「義和団事件」の後、ロシア軍が、満州に南下をしたことで、朝鮮半島の権益を守りたい日本との間で、緊張が高まっていました。

日本政府は、ロシアとの戦争を回避しようと、交渉を重ねていたそうですが、日本国民は、ロシアとの開戦を望んでいたようです。

当然、そこには、当時、販売されていた新聞の報道がある訳で、新聞もまた、「開戦論」を展開していた。

 

それは、「滑稽新聞」も例外ではなく、ロシアに対して弱腰な政府首脳たちを「恐露病」として、揶揄しています。

また、ニコライ二世を斬りつけた「大津事件」で、有罪となった津田三蔵を釈放しろいう記事を掲載しりしている。

もっとも、この時、ずでに、津田三蔵は、獄中で、病死していた。

 

また、東京で発行されていた新聞「日本」は、政府首脳の暗殺を促す記事を掲載して、発禁処分となる。

 

ちなみに、唯一、「反戦論」を唱えていたのは、「萬朝報」という新聞で、この「萬朝報」には、社会主義者である幸徳秋水、堺利彦、キリスト教徒の内村鑑三が居た。

 

この「萬朝報」という新聞は、いおわゆる「ゴシップ」報道を行った新聞の先駆けだそうで、特に、権力者のスキャンダルを報じて、売り上げを伸ばしたそう。

一時期は、淡赤色の紙を用いたことから「赤新聞」とも呼ばれた。

そして、この「赤新聞」とは、低級な、興味本位な記事を掲載する新聞のことを示すようになる。

 

しかし、世間の「開戦論」に押され、売り上げを落としていた「萬朝報」もまた「開戦論」に舵を切る。

これに反発をして、幸徳秋水、堺利彦、内村鑑三は、「萬朝報」を退社。

幸徳秋水、堺利彦は、「反戦論」を掲げる「平民新聞」を発行することになる。

 

そして、ついに、「日露戦争」は、開戦する。

 

開戦直後に発行された「滑稽新聞」には、このような宣言が、掲載されています。

 

戦争は、平和を主義とする国家のするべきことではない。

しかし、やむを得ざる時には、正当防衛という言葉もある。

戦争は、野蛮で非義、文明の仇敵であると言いながら、砲火を交えることは、矛盾の最も大きなもの。

矛盾は、野蛮の武器。矛盾は、非義の究極。

しかし、我が、滑稽新聞は、国家の正当防衛として、次号以降、野蛮な戦争を骨子とし、この非義の戦争を皮肉として、大いに滑稽を利用しようと思う。

戦争は、滑稽なり。滑稽の妙は、矛盾にあり。

我が、滑稽新聞は、大いに、野蛮、非義たらんと思うところである。

 

と、言った内容でしょうか。

 

つまり、当時、ロシアとの戦争は、多くの国民が「正当防衛」だと考えていたということでしょう。

ちなみに、いつも、「戦争」とは、「正当防衛」が口実になる。

それは、いつの時代、どこの国も、同じでしょう。

 

そして、「戦争」とは、「矛盾」であり「非義」であるということ。

これは、これで、正論でしょう。

 

そして、「滑稽新聞」は、戦争を、滑稽に利用する。

例えば、これ。

 

さて、「滑稽新聞」」の、このページ。

一見、検閲による「伏せ字」のようですが、読めますかね。

恐らく、「滑稽新聞」の中でも、最も、有名な記事の一つ。

 

ちなみに、「日露戦争」という言葉にも、「滑稽新聞」は、異議を唱えているような記事がありました。

これは「征露」「討露」という言葉にするべきではないかという意味の記事だったように思います。

 

やはり、当時、国民は、多くが、戦争を望んでいたんですよね。

そして、それは、太平洋戦争の敗戦まで、続くことになる。