NHKの大河ドラマ「べらぼう」。
最近の数話を見て、気になるところを、いくつか。
浅間山の噴火から、天明の大飢饉、そして、火山灰による、大きな災害。
江戸市中はもちろん、多くの人が、生活に困難を抱えるようになりましたが、江戸城の中は、庶民のことには関係なく、権力争いが続いている。
いかにして、田沼意次を失脚させるか。
その中心になっているのが、一橋治済ということになる。
何とも、空しいですね。
権力者は、庶民のことなど、考えない。
だから、民主主義は、重要なのだろうと思いますが、今、その民主主義から、おかしな権力者(トランプ氏)が登場するところを、世界は、目の当たりにした。
自ら、人権を放棄するような選択をして、一体、この先、どうしようとしているのかと思うところ。
さて、「松平定信を、老中に」という話があり、それに対して、「前例が無い」という答え。
更に、それに対して、「では、田沼は、何を前例にして、老中になったのか」というやり取りが、ありました。
実は、田沼意次の田沼家も、松平定信の白河松平家も、本来なら、老中には、なれないんですよね。
幕府の老中になるのは、譜代大名に限られるというのが、基本。
田沼家は、元紀州藩士で、身分は、軽い。「足軽上がり」と、言われていましたね。
一方、松平定信は、田安家の出身。将軍、徳川吉宗の孫に当たる。
そして、養子に入った白河松平家は、親藩大名。
この親藩大名も、本来、幕府の政治に関わることは出来ないんですよね。
ドラマの中では、市中の混乱を利用して、松平定信、一橋治済は、田沼意次の失脚を謀る。
市民の苦しみまで、権力争いに利用しようという醜さ。
いよいよ、次回、老中首座、松平定信が誕生するようですね。
そして、田沼意次とは良好な関係にあった、主人公の蔦屋重三郎は、松平定信の「寛政の改革」に、悩まされることになる。
松平定信が、いきなり、老中の「首座」に就いたということは、この本で、初めて、知りました。
親藩大名が、老中になることが、異例で、更に、いきなり「首座」となることも、異例のことだったそう。
松平定信の幕政への登場は、まさに、異例中の異例ということになる。
恐らく、それだけ、田沼意次への反発が強かったということになるのでしょう。
しかし、この松平定信の政治は、わずか、五年しか、続かなかったそう。
これも、かなり、短い、と、言うことになるそうです。
やはり、周囲の反発が、強かったということなのでしょうか。
さて、田沼意次が、幕府が、米を配るということを、庶民に知らせるために、蔦屋重三郎に「読売(よみうり)」を、撒いてくれないかと依頼をする場面がありました。
この「読売」とは、今で言うところの「瓦版」のこと。
この「瓦版」が、江戸時代、非合法出版物だったということは、この本で、初めて、知りました。
ドラマのように、幕府の側から、意図的に、瓦版を撒かせるということは、実際に、あったのでしょうかね。
ちなみに、最初の瓦版と言えるのは、「大坂の陣」で、豊臣家が滅びたことを知らせるものだったそうで、これは、幕府側が、市中に撒いたものと考えられる。
基本的に、瓦版は、大っぴらに撒くものではなかったようですが、市民には、人気だったよう。
幕府が、米を配るという田沼意次の方針は、裏で、松平定信、一橋治済が手を回したことで、失敗に終わった。
更に、一橋治済の扇動で、江戸で「打ち壊し」が起こる訳で、田沼意次は、ますます、追い詰められる。
この「打ち壊し」は、暴動となり、死者が出る訳ですが、「同心が、庶民に殺された」と聞いて、「武士が、庶民に、殺されるのか」と、幕府の人間は驚くのですが、「何分、刀を抜いたことが無い者が多い」という話。
つまり、本来、「戦士」であるはずの「武士」が、武芸を忘れ、単なる「役人」になってしまっているということですよね。
これは、幕末にも、大きな影響を与えることになる。
何とか、この「打ち壊し」を止めたい蔦屋重三郎に対して、一橋治済の手の者と思われる男が、短刀で襲いかかろうとしますが、とっさに、新之助が、身を挺して、蔦屋重三郎を守る。
そして、その男を、長谷川平蔵が、弓で討ち取る訳ですが、この時、長谷川平蔵が率いていたのが、「先手弓組」と呼ばれる戦闘部隊。
武芸達者が集まる、将軍の親衛隊の一つでしょう。
さすがに、そこは、武芸に無頓着の役人では、務まらない。
そして、長谷川平蔵は、後に「火付盗賊改」として、名をはせる訳ですが、この「火付盗賊改」は、凶悪犯を相手に、強権を振るうことを許可された役職で、やはり、武芸達者でなければ務まらない。
こういう武士も、平和な時代に、存在したということ。
そして、蔦屋重三郎は、「米が無ければ、金を撒いたらどうですか」と、田沼意次の屋敷に出向き、直接、進言する。
田沼は、それを受け入れ、「もう木戸も閉まっているだろうから、泊っていけ」と、蔦屋重三郎に言う訳ですが、当時、夜になると、江戸に限らず、町の中は、木戸が閉められ、自由に移動をすることが出来なかった。
時代劇「木枯らし紋次郎」の中のエピソード「大江戸の夜を走れ」で、その辺りの事情が、よく描かれていた記憶があります。
また、見てみたいところです。