2023年1月、考古学の大発見がありましたよね。

それは、見事な「蛇行剣」と「盾型銅鏡」の出土。

この「蛇行剣」と「盾型銅鏡」について、詳しく知りたいと、ずっと、思っていました。

 

 

奈良県奈良市、富雄川西岸にある「富雄丸山古墳」。

4世紀後半に築かれた、直径109メートルの、日本最大の円墳ですが、2022年、この富雄丸山古墳で、世紀の大発見がありました。

円墳の北東部に突き出した「造り出し」と呼ばれる場所の調査をしていたところ、長方形の「墓抗」を発見。そこには、盗掘されていない粘土槨があり、そこを慎重に掘り下げてみたところ、とんでもない物が、埋まっていた。

 

一つは、巨大な「蛇行剣」。

あまりにも巨大なため、当初は、複数の鉄剣が重なっているのかとも考えられていたようですが、それは、巨大な、一本の鉄剣だった。

全長237センチ。刃部長は、216センチ。茎長は、21センチ。

ちなみに、蛇行剣の発掘例は、日本で、85例、韓国南部で、4例。

今回、発見された巨大な蛇行剣は、その中では、最古のものとなる。

 

 

この蛇行剣は、調査の結果、剣を握る持ち手の部分である「把(ツカ)」や、刀身を納める「鞘(サヤ)」の痕跡が確認されたということ。

柄と鞘は、木製で、その大部分は、失われ、跡形も無くなっていた。

装飾として塗られていた漆や、赤色の水銀朱が、わずかに、跡を残している。

 

把の大きさは、全長38センチ程度。布や組紐などを巻く「把間(ツカアイ)」(手で握る部分)以外は、前面に黒色の漆、表面や側面には、文様が施されているのが確認できた。

そして、大きな楔型の「把頭(ツカガシラ)」が確認されましたが、この「楔型の把頭」は、4世紀末以降の「刀」に見られるもの。

ちなみに、この蛇行剣には、「把縁突起」という「剣」に特有の特徴もあり、この蛇行剣は、「剣」と「刀」の両方の特徴を持つ。

 

鞘は、全長248センチに、復元が可能。

鞘口と鞘尻は、黒色の漆が塗られていて、こちらにも、文様があった。

鞘尻には、長さ18.5センチの細長い「石突」がついていることが明らかになった。

 

この長大な「蛇行剣」は、当然、実用のものではない。

可能性としては、「辟邪」の役割を担う、霊力に期待をされた副葬品。

つまり、被葬者を、邪悪なものから守るためのもの。

 

さて、もう一つ、同じ古墳から、同時に発見されたのが「ダ龍文盾型銅鏡」です。(「ダ」の漢字が出て来ない)

 

 

発掘当初、この銅鏡は、「鋸歯文」が確認されたことから、盾型の銅板ではないかと思われていたそうです。

しかし、裏には、古墳時代の国産銅鏡に代表的な「ダ龍鏡」と呼ばれる銅鏡に特徴的な文様があった。

つまり、これは、「銅鏡」であり、しかも、国産であるということが分かる。

 

長さ、64センチ。最大幅、31センチ。最大厚、0.5センチ。重さ、5.7キロ。

盾と銅鏡が一体になった、独得の形をしている。

方形の銅鏡も確認されているが、盾型の銅鏡が出土するのは、これが、初めて。

 

銅鏡の背面には、鮮やかで、複雑な神像や獣像が「線・半肉彫り」という様式で彫られ、中央部には、直径、4.8センチの「紐(チュウ)」と呼ばれる突起がある。

そこに残されていた繊維質から、幅広の織物が通されていたと考えられる。

ちなみに、「ダ龍」とは、ワニの一種とされる、中国の想像上の生き物。

 

さて、以下、個人的な推測。

 

古墳の副葬品。

被葬者の権力を示すものだろうと思っていたのですが、それだけではないようですね。

それは、この本にも書かれていたように「辟邪」の意味。

つまり、被葬者を、邪悪なものから、守るため。

 

「鏡」「武器」

 

この二つには、特に、「辟邪」の力が、込められていたのでしょう。

 

いわゆる「辟邪の武」に関しては、昔、「滝口の武士」という本で読んだのですが、以前、もう一度、読み直そうと思って、本棚を探すと、無かった。

まさか、古本屋にでも、持って行ってしまったのか。

自分のしたことが、信じられない。

 

しかし、個人的な疑問は、なぜ、被葬者に「辟邪」の副葬品を備えなければならなかったのか。

その辺りには、少し、疑問もあるところ。

もしかすると、被葬者が、邪悪なものとして復活をする、または、現世に、悪影響を与えることを防ぐための「辟邪」かなとも、思ったりして。