今日は、久しぶりに、下津井を散歩。
やはり、日傘があると、随分と、楽ですね。
こちら、田土浦坐神社の前を、横切る道です。右手に、斜面を下る山道があり、鳥居もあります。
左側が、神社となります。正面、瀬戸大橋。
道から、拝殿を見上げる。
この田土浦坐神社は、確か、延喜式に記載された備前国児島の、二つの神社のうちの一つに比定されているという話だったと思います。ちなみに、もう一つは、玉野市の荘内地区にある式内鴨神社。
下津井の町の方を、見下ろします。良い景色です。
鳥居の隣に、このような石柱が。「児島八景・下津井帰帆」と書かれています。
拝殿、向かって左にある狛犬と石灯籠。石灯籠には、年号が刻まれていましたが「延」の文字だけは、判別出来ましたが、その他の文字は、風化をして、判読出来ませんでした。
ネットで調べてみると、延享2年(1745)に、社殿が造営された記録があるそうで、恐らく、その年号が、刻まれているのでしょう。
元々、この神社は、「明神さま」と呼ばれていたようで、創立年代は、不明。
元文4年(1739)に、今の田土浦坐神社という名前になったそうです。
こちら、拝殿、向かって右側の狛犬と石灯籠。やはり、石灯籠よりも、狛犬の方が、古い印象です。
なんとなく、可愛い雰囲気。
さて、神社の前の道を、西に下ると、このようなものがありました。
金光教の教会の近くで見つけた「児島八十八カ所」の「遍路石」で、ブロック塀の中に、埋め込まれています。
何で、こんなことになっているのでしょうね。
遍路石を置く場所を確保できなかったのですが、撤去する訳にも行かなかったということなのでしょう。
この道を、更に、西に下ると、下津井東小学校の前に出ます。
どうも、下津井東小学校は、閉校をするということのようですね。
そして、この下津井東小学校の校門前を、南に向かう道があります。
古い通りで、お店が建ち並び、かつては、にぎやかだったのだろうということが、想像できます。
この道です。右側が、下津井東小学校。この道を、南に下ります。
道を挟んで、屋根があるのは、商店街のアーケードのようなものでしょう。
このようなものを見つけました。専売公社時代の「塩」の看板ですよね。
かつて、塩の販売は、管理されていた。
アーケードのようなものは、残っていますが、やはり、お店は、多くが閉店をしている。
しかし、いくつかのお店は、今も営業をしていて、町が、生きている感じがしますね。
良い感じです。
この先に行くと、下の写真の場所に出ます。
右方向が、上の写真の道。
ちなみに、左に見える家も、お店が、営業しています。
良いですね。
こういう、小さな、個人のお店が、まだ、営業をして行けるということは、まだ、この辺りでは、こういうお店で買い物をする人も多いということなのでしょう。
しかし、それは、多くが、お年寄りで、もう、十年、二十年もすると、やはり、全てが、無くなってしまうということになるのでしょうか。
さらに、少し、歩くと、このようなものがありました。
「コカコーラ」「ペプシコーラ」の、ホーロー看板でしょうか。
初めて見る気がします。