倉敷の「磯の森貝塚」に隣接するという「舟津原貝塚」の痕跡がないかと、周囲を歩いてみましたが、やはり、ネットに何の情報も無いということで、何も、痕跡らしきものを見つけることは出来ませんでした。
その代わりに、このようなものを発見。
石碑のようなので、近づいてみる。
石碑には、「源平合戦腸川史跡碑」と書かれているようです。
裏を見ると、この石碑が建てられたのは、平成5年ということ。
想ったほど、古くはない。
この「腸川」とは、何か。
ネットで調べてみる。
この「腸川」とは、この石碑の前にある小さな川のことのようです。
この場所は「藤戸合戦」の戦場に近く、源氏方の佐々木盛綱によって殺された浦の男の内蔵が流れて来た、または、合戦で殺された兵士の内蔵が流れて来たので、この「腸川」という名前が付けられたということ。
また、別の説では、この川は「和田川」と呼ばれた川で、山裾から磯に川が流れ込んだ場合、干潮の時には、その流れが、海の中の川のように見えることがある。
この「和田川」(わだ川)という名前が、上の伝説と合わさって、「わだ」が「わた」=「はらわた」(内蔵)という内容に変化をし、「腸川」と呼ばれるようになったということ。
この川の上流に「清滝」という場所があり、そこが、平家側の陣所があった場所だということ。
この清滝にあった「七つ池」から、腸川が流れているそうです。
さて、舟津原貝塚が見つからなかったので、磯の森貝塚の貝殻を、ついでに撮影。
左が「アカニシ」、右が「イボニシ」ということになるのでしょうかね。
これも、左は「イボニシ」でしょうか。右は、カタツムリのようなもの。
このような小さなものも、食べたのでしょうかね。
とても、手間な気がする。
こちらは、貝塚に、多く転がっている「ハイガイ」でしょう。
やはり、舟津原貝塚は、消滅したということになるのでしょうかね。