昨日、ネットで色々とブログを読んでいると、和田地区の弘法寺を取り上げたブログの写真に「道祖神」が写っているものがあり、驚きました。
ずっと、実物を見たいと思っていた「道祖神」が、まさか、こんなに身近なところにあったとは。
早速、見に行って見ました。
こちら、弘法寺の入口にある手水鉢と、「第十六番札所」を示す石柱。
この石段を登ります。
こちら、石段を登ったところにある境内にある本堂です。
この弘法寺には、住職がいないので、日比の常光寺観音院が、管理をしているよう。
和田地区の盆踊りは、この境内で、八月の末に行われます。
僕が子供の頃は、随分と賑やかでしたが、今は、どうなのでしょう。
地元では、このお寺は「お大師さん」と呼ばれています。
子供の頃は「オダイシサン」という音だけで認識をしていて、それが「お大師さん」で、弘法大師のことだというのを知ったのは、大人になってからのこと。
このお寺に来たのは、四十年近くぶりです。
こちら、本堂、左柄にある戦没者慰霊碑とお地蔵さん。
こちら、境内、南側にあるお地蔵さんと石柱。
こちら、本堂、右側にあるお地蔵さん。
こちら、石段を登り、境内のすぐ左手にある石灯籠です。
そして、小さなお地蔵さんに、石柱。
そして、奥に、「道祖神」があります。
こちらが、ぜひ、見たかった「道祖神」の実物です。
台座は、古い感じですが、「道祖神」そのものは、あまり、古くは感じないですよね。
男女が抱き合った様子は、「子孫繁栄」「五穀豊穣」を意味しているそうです。
そのブログを書かれている人は、やはり「道祖神」を知らないようで「かわったお地蔵さん」と表現をしていました。
民俗学者、五来重さんの本によれば、この「道祖神」は、明治政府によって信仰が禁止され、それまで、日本各地に置かれていたものの、多くが撤去、破壊され、お地蔵さんなどに置き換えられたそう。
しかし、ここでは、「道祖神」の信仰が、ずっと、続いていたということですよね。