灘崎にあるサウスヴィレッジの前の道を、彦崎に向かって走っていると、宇野線の踏切の近くに、このようなものが見えます。
綺麗な銀杏の木に、大きな石碑。
一体、何の石碑なのだろうと以前から気になっていたので、見に行ってみました。
石碑には、「耕地整理記念碑」と書かれていました。
隣に置かれている石板には、その説明が書かれていたのだろうと思いますが、冒頭に「大正」という文字があるのが読めただけで、その他は、風化をして、全く、何も読めない状態。
恐らく、大正時代に、この辺りが、耕地として整理をされた記念の碑なのでしょう。
隣の銀杏の木は、もしかすると、この石碑が置かれた時に、植樹をされたものなのかも知れない。
そして、この石碑の近くに、水門があります。
「大正水門」と書かれています。
やはり、大正時代、耕地整理の時に作られた水門なのでしょう。
さて、この石碑、水門の、すぐ西側に、宇野線が走っていますが、なぜ、この宇野線が、宇野、岡山の最短距離ではなく、大きく、西に迂回をしているのかというと、この宇野線が出来た時、まだ、この宇野線よりも東は、海だったんですよね。
その後、干拓、開発が進み、田んぼが広がる耕地になった。
さて、この石碑の隣にある「銀杏」の木。
少し前に、確か「チコちゃんに叱られる」だったと思いますが、面白い話をしていました。
この「銀杏の木」は、かなり特殊な生態を持ち、本来なら、とっくの昔に、絶滅をしていても当然の植物だったようですね。
実際に、野生の銀杏は、中国大陸の、ごく一部に生息をするだけの状況に追い詰められていたということ。
しかし、それを、人間が見つけ、その実が「薬」として重宝されるようになったことで、人間の手で、保護され、各地に植えられるようになり、今のように、日本では、多くの場所で見られる、普通の木になったということ。
なかなか、面白いですね。