梶井基次郎の小説「Kの昇天・或るいはKの溺死」。
この小説もまた、短い話ですが、他の小説とは、少し、毛色が違い、ファンタジックな、空想物語という雰囲気がある。
小説全体は、ある人物から来た手紙への返書という形式を取っています。
それは、「Kが、海辺で溺死をした」という手紙への返書。
なぜ、Kが、溺死をしたのか。
主人公である語り手は、自分が、その海辺で、Kと出会った時の状況を話し、Kが、なぜ、海辺で溺死をしたのか、推測をしています。
この小説でテーマになっているのは「分身」「ドッペルゲンガー」です。
主人公は、病気療養のために訪れていた土地にあるN海岸で、ある満月の夜に、Kと出会う。
その時、Kは、満月によって砂浜に映し出された自分の「影」を見ながら、ゆらゆらと歩いていた。
一体、この人は、何をしているのか。
主人公は、疑問に思い、Kに話しかける。
Kは、満月によって映し出される自分の「影」に、自分の「分身」のようなものを見ようとしていた。
満月に映し出された「影」を見ていると、その中に「生き物」が宿り、自分は、「月」に昇って行くような感覚になると言う。
Kは、その感覚を求めて、満月の夜に、海辺を歩いていたのだった。
しかし、それは、なかなか、上手く行かず、「月」に昇ろうとしては、落ちて行く。
ここに「イカロス」の話も出て来ます。
それは、「ロウ」で固めた翼を使って、空を飛び、太陽に向おうとして、失敗をする人物の話。
そして、Kの溺死を知った時、主人公は、Kは、満月に映し出される自分の「影」を見ながら、海に入ったのだろうと想像する。
その時、Kは、「影」の中に、自分の「実態」を映し、「魂」は、「月」に昇って行ったということ。
この「K」という名前。
恐らく、「梶井」の頭文字から「K」を取ったのでしょう。
つまり、「影」に「実態」を宿し、「魂」を「月」に昇天させたのは、作者である「梶井基次郎」自身を投影しているということになるのでしょう。
この時、すでに、基次郎の結核は、悪化を始めていたそうですね。
つまり、自分の命が、長くはないことを予期してもいたはず。
また、ウィキペディアを見ると、基次郎自身、「ドッペルゲンガー」のようなものを見る体験をしたことがあったそうですね。
それは、この「Kの昇天」の前に書かれた「泥濘」という作品の中にも書かれているということ。
一説に、「自分のドッペルゲンガーを見ると、死ぬ」という話がありますよね。
これは、基次郎が生きていた時にも、言われていたことなのかどうか。
「幽体離脱」など、経験をする人も居るようですが、実際に、どのような感覚なのか。
怖い反面、興味のあるところです。