今日は、気候も良く、天気も良いので、久しぶりに、運動がてら、自転車に乗って日比港へ。
その日比港に隣接をする「水の浦」と呼ばれる海岸に行ってみました。
水の浦の砂浜から、西側を見る。
正面の煙突やクレーンは、日比精錬所です。
赤い灯台のある堤防の向こう側が、日比港です。
堤防には、釣り人の姿が、いくらか。
やや、南に視線を移します。
三角の島は、大槌島です。少し、靄が出ているようですね。
砂浜は、とても奇麗で、歩くと、砂が、柔らかい。
波打ち際も、奇麗ですね。
南の岬の方を見る。
釣りをしている人が、居ました。
この岬は、子供の頃、裏側に回って釣りをするために、何度か、登ったことがあるのですが、今日も、登ってみようかと思ったところ、道が見つからず、引き返しました。
途中の斜面には、墓地があり、かなり古い墓石や、お地蔵さん、石塔があったので、何時の頃のものなのかと見て歩いたところ、「安政」や「天保」の年号の書かれたものがありました。
更に、確かではありませんが「安永」と書かれた墓石もあり、この「安永」とは、1772年から1781年までの期間だそうで、「天明」の前だそう。
確か、田沼意次が老中の時代に起こったのが「天明の大飢饉」で、それよりも前のものということになる。
日比港から、水の浦の砂浜に入るところ。堤防の近くに、二つのこのようなブロックが放置されています。
かつては、船を泊めるのにでも使われていたのでしょうかね。
さて、この日比港の近くの崖には、いくつかの、人工に掘られたものであろう横穴が、いくつか、あります。
この二つの穴は、日比港のすぐ近く。
恐らく、かつては、その手前までが、海だったはず。
こちらにも、隣接をして二つの穴があり、穴は、二つとも、今では土で、ほぼ、埋まってしまっている。
ちなみに、こちらの穴がある場所は、かつて、日比港に抜けるための「切り通し」だった場所。
この穴は、何のために作られたのでしょうね。
まさか、戦争中の防空壕として使われたとも思えませんが。