乃至政彦さんの本に「戦国の陣形」というものがあります。
個人的に、この本は、未読。
しかし、「謙信×信長」の中に、この本の内容と同じと見られる部分があり、その記述と、個人的な想像を交えながら、少し、紹介をしたいと思います。
さて、戦国時代の合戦が、どのように行われたのかということは、具体的には、何も、分からない。
江戸時代以降に書かれた「軍記物」の合戦が、今では、定説となっていますが、これは、恐らく、史実ではないでしょう。
戦国時代の合戦が、どのようにして行われたのか。
さて、勝手な想像をしてみると、恐らく、総大将である戦国大名の元、重臣たちや配下の国衆たちが、兵士を率いて集合し、軍勢が出陣をする。
そして、合戦を目前にした時、総大将を中心にして「軍議」というものが、行われることになる。
その「軍議」の中で、恐らく、どの武将が、どの辺りに布陣をするのか、そして、どういう状況の時に、どのような行動をするのかということが、大まかに決められるのだろうと思います。
そして、いざ、合戦となると、恐らく、個々の武将たちは、自分の裁量で、「軍議」の内容に大きく外れない範囲で、勝手に行動をしていたのではないでしょうか。
つまり、戦国大名の軍隊というものは、後の「洋式陸軍」のように、統制の取れたものではない。
個々の武将が、思い思いの判断で、それぞれに、周囲の状況に合わせて行動をし、まとまりの取れたものではなかったのではないでしょうか。
なぜなら、戦国大名というのは、独裁的権力者ではなく、有力家臣たち、そして、配下の国衆たちによって担ぎ上げられた存在。
そして、有力家臣や、国衆は、それぞれに、自分の領地があり、兵士は、そこから集められたもので、戦国大名自身の「直臣」ではない。
つまり、戦国大名は、有力家臣や国衆たちの率いる兵士を、直接に、指揮をすることが出来ないということ。
言わば、戦国大名の軍隊は、武将たち、一人一人の連合体のようなもので、その個々の武将たちの力量に、合戦の状況が左右されることになる。
しかし、これでは駄目だと考えたのが、武田信玄のようです。
なぜ、武田信玄が、そのような考えに至ったのか。
それは、恐らく、信玄が、中国の兵法書に、大きな関心を寄せていたからでしょう。
兵法書として有名な「孫子」の一文。
「疾きこと風の如く。静かなること林の如く。侵略すること火の如く。動かざること山の如し」
これを、信玄が、自分の旗印にしたのは、有名な話。
武田信玄は、自分の率いる軍勢を、命令一下、自在に動かそうと「陣形」というものに関心を寄せたようですね。
そこで、色々と、工夫を重ねることになったのでしょう。
そこに、「戦国最強」と言われる武田軍団の成り立ちがある。
そして、父、信虎を追放し、家督を継いだ信玄は、信濃国に向けて、侵攻を始めることになる。
武田信玄の猛攻に、信濃国の領主たちは、服従をするのか、それとも、抵抗をするのか、選択を迫られることに。
その中で、徹底して武田信玄と戦うという選択をしたのが、村上義清です。
村上義清は、信濃国北部に勢力を持つ武将で、家督相続後、周囲の勢力を順調に勢力下に収めていったよう。
そして、信濃国の南からは、甲斐国の武田信玄が、順調に、勢力を北上させて来る。
この時、村上義清は、強敵、武田信玄と戦うために、ある事を思いついたそうですね。
それは、「兵士を、その所有する武装によって編成し、その部隊を、有機的に動かして、敵に打撃を与える」というもの。
つまり、本格的な「陣形」というものを作り、その「陣形」を動かして、敵と戦うという合戦の方法を、村上義清は、編み出したということ。
村上義清は、天文17年(1548)の「上田原の戦い」と、天文19年(1550)の「砥石崩れ」の二度、武田信玄を破っています。
武田信玄を相手に、合戦で勝利をしたのは、この村上義清だけ。
しかも、二度も、武田信玄は、この村上義清に敗れている訳で、いかに、村上義清が、戦巧者だったかが、よく分かる。
しかし、この村上義清も、武田信玄の勢いを抑えることが出来ず、謀略によって城を落とされ、義清は、上杉謙信を頼って、越後国に逃げることに。
当然、上杉謙信は、この村上義清から、「武田信玄を、どのようにして破ったのか」という方法を、詳しく、聞いたことでしょう。
それで、村上義清の編み出した「陣形」による合戦の方法が、上杉謙信に伝授されることになる。
これが、武田軍団と並ぶ、「戦国最強」の上杉軍団の誕生のきっかけになったのでしょう。
そして、この村上義清の編み出した「陣形」による戦法は、豊臣秀吉の全国統一により、全国の戦国大名に認知されることになる。
そして、それぞれの戦国大名が、それを取り入れたことでしょう。
個人的に、なぜ、武田信玄と上杉謙信が「戦国最強」として並び称されるのか、昔から疑問でしたが、乃至さんのこの考えが正しいのだとすれば、納得の行くところ。
問題は、これが、果たして、「史実」なのかどうか、と、言うことろですよね。
僕は、この「戦国の陣形」という本を読んでいないので、上に書いたことには、本の内容とは違うところがあるかも知れません。
そのうちに、機会があれば、「戦国の陣形」も、また、読んでみたいところです。