伊達政宗は、戦国武将の中でも、大きな人気を誇り、有名な人物ですが、なかなか、これといって、読んでみようかという本が無い。

その中でも、オーソドックスな本と言えば、やはり、これでしょうかね。

 

 

 

初版が、1985年と、古いもの。

恐らく、最新の研究からすれば、間違っているもの、そして、定説が変わっているものもあるのでしょう。

しかし、面白いものは、面白い。

伊達政宗の生涯を知るには、良い本ではないでしょうかね。

個人的に、面白いと思ったことを、いくつか。

 

伊達政宗は、小田原で、豊臣秀吉に降伏をする訳ですが、どうも、政宗の領土拡大への意欲は、衰えていなかったようですね。

これ以降も、何とか、自領を拡大できないかと、計画を練っていたようです。

 

そして、会津に封じられた蒲生氏郷と協力をして、葛西大崎一揆を平定することを命じられた時、「政宗に謀反の疑いがある」と、氏郷は、秀吉に連絡をする。

この時、秀吉は、伊達政宗討伐のための軍勢を、東北に派遣をするために準備を始めたそうです。

まさに、危機一髪の状況だったよう。

 

また、伊達政宗は、豊臣秀吉のことをとても尊敬していたようですね。

秀吉から与えられた刀を、終生、大切にしていたということ。

そして、徳川家康が、豊臣秀頼を滅ぼそうと動いていた時、政宗は、豊臣家が滅ぼされるということを、非常に、懸念していたよう。

 

 

また、この本は、コンパクトにまとまっていて、読みやすく、面白かったです。

この本で、特に、興味を引いたのは、政宗の弟、小次郎について。

 

この、政宗の弟、小次郎は、政宗が、小田原に赴く時に、この小次郎を担ぐ勢力によって暗殺されかけたことをきっかけに、政宗は、小次郎を殺害したと言われていますが、これには、大きな疑問があるということ。

実は、政宗の弟と思われる人物が、江戸のお寺で、その後、住職をしていることが確認できるようですね。

もしかすると、その僧が、小次郎ではないかと推測をしている。

この本に書かれている通り、この時、政宗は、秀吉によって処刑をされる可能性もあった訳で、唯一の弟である小次郎を事前に殺害してしまえば、名門、伊達家が、御家断絶ということになってしまう。

そのような危険を、政宗が犯すだろうかという話。

 

また、伊達政宗は、とても、筆まめな人物として有名。

自筆の書状が、大量に残されていて、それは、他の戦国武将の比ではないということ。

 

 

この本は、その伊達政宗の直筆書状を元に、その生涯と、伊達政宗の人となりを記して、面白い。

 

当時、戦国大名クラスの人は、祐筆を抱えていて、書状の文章は、その祐筆が書くのが当たり前だったよう。

しかし、伊達政宗は、書状を「自分で書く」ということに、とても、こだわりがあったよう。

祐筆に書状を書いてもらった時には、相手に「自分で書けなくて、申し訳ない」という謝罪を入れたりしているよう。

また、相手が、自筆の書状をくれた時には、「わざわざ、自筆で書いてくれて、申し訳ない」というお礼を言ったりもしているようです。

 

この本で面白かったのは、有名な「百万石のお墨付き」の話。

 

関ケ原の戦いで、徳川家康に味方をした伊達政宗には、いわゆる「百万石のお墨付き」があったという有名な逸話があります。

関ケ原の戦いの後、政宗は、本多正純に、その書状を示し、約束の履行を求めたところ、正純は、その書状を破き「このようなものを持っていては、あなたのためにならない」と忠告をしたという逸話もありますが、これは、後世の創作物語です。

 

実は、この「百万石のお墨付き」は、反故にされた訳ではなく、「今は、与える土地が無い」という理由で、約束が、先延ばしにされた状態だったようですね。

そのため、政宗は、機会があるごとに、様子を見ながら、幕府に、この約束の履行を求めていたよう。

しかし、幕府に、それを履行する気が無いというのは、分かり切った話で、政宗も、幕府から反感を買うほど、強く、それを求めていたという訳ではないよう。

最後の方になると、「どうせ、駄目だろうが」という文章を付け加えて、約束の履行を求める書状を送ったりもしているようです。

 

また、政宗と母親は、とても、仲が悪かったと言われていますが、政宗と母親の書状のやり取りも見ると、とても、仲の良い母子だったことが分かる。

小次郎殺害事件の時、政宗を暗殺しようとしたのは、母親だと言われていますが、どうも、これもまた、後世の創作話のよう。

もっとも、何らかの理由で、一時、母親が、伊達家から、実家の最上家に戻っているのは事実です。

その理由が何なのかは、定かではないよう。

 

伊達政宗は、とても、興味深い人物です。

他にも、色々と、知りたいこと、語りたいこともあるのですが、それはまた、別の機会に。