梶井基次郎の短編小説「檸檬」。

個人的に、梶井基次郎は、大好きな作家の一人。

31歳という若さで亡くなったため、残された作品は、少ない。

しかも、どの作品も短いものばかりで、「梶井基次郎全集」といっても、習作も含めて、文庫本一冊だけ。

 

 

さて、梶井基次郎の代表作と言えば「檸檬」ということになる。

梶井基次郎の小説は、これといって明確な物語構成がある訳ではなく「散文詩」のようなものと言われることもあるようですね。

そして、その梶井基次郎の書く文章が、個人的に大好きです。

これといって明確な物語の筋の無い小説は、日本独特の「私小説」ではよくあること。

こういった日本独特の私小説を嫌う人も多いようですが、僕は、こういった小説もまた、大好きです。

 

 

さて、少し、思い出話を。

 

僕が、この梶井基次郎の「檸檬」を初めて読んだのは、高校一年生の時に行われた校外模試の国語の現代文の問題として。

もちろん、テストに出たのは、「檸檬」の一部ですが、あまりにも読みづらく、分かり辛い文章に閉口しました。

 

「文学とは、厄介なものだな」

 

と、最初は思ったのですが、ふと、

 

「こういった文章を、普段から読みなれていれば、テストも楽なのではないか」

 

と考え、それから、様々な文学作品を読むようになりました。

 

やはり、最初は、読みづらく、分かり辛い文章に閉口しながら読んでいましたが、慣れて来ると、とても、読み応えがあって、面白い。

作家によって、様々な個性的な文体があり、やはり、自分に合う、合わないという好みもあることも知りました。

 

さて、この「檸檬」について。

 

主人公の「私」は、「得体の知れない不吉な塊」に重圧を感じながら、日々を過ごし、京都の町を歩く。

そして、ある果物屋で見つけた「レモン」を買い、そのまま、本屋の丸善に立ち寄る。

そして、本屋の画集の棚から、次々と画集を出しては、積み重ね、ふと、思いついて、そこに「レモン」を置いて、外に出る。

その「レモン」を爆弾に見立て、爆発をする丸善を想像しながら。

 

この主人公の「私」が「レモン」を買った果物屋。

 

ネットで調べると、京都市中京区寺町二条角の「八百卯」というお店で、明治時代に創業。

2009年(平成21年)1月25日に閉店したということ。

 

実は、僕は、大学生の時、実際に、「檸檬」に登場をした果物屋が実在をすると知り、京都まで行って、この「八百卯」で、レモンを買ったんですよね。

当時のお店の風景は、もう、あまりよく覚えていない。

この果物屋が閉店をしたというのも、新聞の記事で見たような記憶があります。

丸善京都店も、当時、二代目の店舗があったそうですね。

「八百卯」で買ったレモンを、丸善に置いて行く人が後を絶たなかったそうですが、僕も、置いて来れば良かったと思うところです。