テレビや新聞、ネットの記事などを見ていると、「何で、このような高学歴の人が、このような馬鹿なことをしてしまうのか」と思える人が、結構、居ますよね。

個人的に、このような人を「頭の良い馬鹿」と呼んでいます。

 

「頭が良い」ということは「勉強がよく出来る」と言うこと。

そして、「馬鹿」というのは、「社会的常識から外れた言動、倫理にもとる言動をしても、何とも思わない人」と、勝手に、定義をしています。

 

なぜ、こういった「頭の良い」「馬鹿」な人が存在をするのでしょうか。

それは、「頭の良い」=「勉強がよく出来る」=「IQが高い」のですが、それに反して「心の生育」が追い付いていないのではないかと想像しています。

 

時折、テレビなどで、「子供のIQを伸ばす」と言って、二歳、三歳くらいから、特殊な教育を施す塾のようなものが紹介をされたりしていますが、「IQ」ばかりを伸ばしたところで、将来的に「頭の良い馬鹿」になってしまったとしたら、意味のないことですよね。

もっとも、「他人にどう思われようが、他人が、どれほどの迷惑を被ろうが、社会的に成功出来れば、それで良い」というのなら、話は別ですが。

 

さて、こういった人を見るたびに、昔、一時期、話題になった「EQ」という言葉を思い出します。

当時、本屋にも「EQ」に関する本が、いくつも並んでいた記憶がありますが、今、見かけなくなったところを見ると、それほど、今では、社会で重要視されている訳ではないのかも知れない。

 

 

 

さて、「EQ」とは、具体的には、何なのか。

ネットで調べてみる。

 

「EQ」とは「Emotional Intelligence  Quontient」のことで、日本語にすると「心の知能指数」ということ。

1990年に、アメリカの心理学者によって提唱をされた理論だそうですね。

 

ごく簡単に言えば「自分の感情をコントロールする能力、そして、相手の感情を理解する能力」ということのよう。

この「EQ」を高めることで、他者とのコミュニケーション能力を向上させ、信頼関係を構築することに役立つということ。

 

僕が考える「頭の良い馬鹿」な人は、「他者を尊重する」とか「他者の気持ちに共感をする」という能力に欠けている。

つまり「EQ」が低い、と、言うことになるのでしょう。

 

ちなみに、「頭の良い馬鹿」の典型は「サイコパス」と呼ばれる人たち。

 

「サイコパス」とは、「他者への理解、共感」といった感情が欠落し、「自己中心的行動」の著しい人のこと。

この「サイコパス」には、「頭の良い人」つまり「IQ」の高い人も多く、社会的に大きな成功をおさめる人も居るという話。

しかし、時折、社会で大きな話題となる凶悪犯を生み出すこともある。

どちらも、「他者への理解、共感がなく」、著しい「自己中心的行動」の結果でしょう。

それが、上手く行けば、社会の「成功者」となり、上手く行かなければ「犯罪者」となってしまう。

 

この「サイコパス」の気質を持つ人は、100人のうち1人くらいは居るだろうという話。

しかし、「サイコパス」の気質を持つ人の多くが、普通に、日常生活を送っている。

それは、恐らく、子供の頃からの「心の育成」が、ある程度、上手く行き、多少なりとも「他者への共感や、理解」が生まれるからではないでしょうかね。

 

「IQ」が高いのにこしたことはないですが、それだけでは、駄目なのではないでしょうかね。