旧日本海軍が建造し、太平洋戦争で活躍をした「伊号潜水艦」。

 

この「伊号潜水艦」は、基準排水量1000トン以上の、「一等潜水艦」のこと。

ちなみに、1000トン未満、500トン以上の潜水艦は「呂号潜水艦」。

500トン未満の潜水艦を「波号潜水艦」と呼びます。

この「呂号潜水艦」「波号潜水艦」は、「二等潜水艦」となる。

 

当然、外洋で活躍をする主力潜水艦は「伊号潜水艦」となる。

そして、この「伊号潜水艦」で、名艦長と呼ばれたのが、板倉光馬さん。

その板倉艦長の戦争体験を書き記したのが、この本。

 

 

実は、この伊号潜水艦は、太平洋戦争では、相当な苦戦を強いられ、大きな損害を出すことになる。

 

一つの原因は、海軍としての「戦略性」の無さ。

場当たり的に、無理な作戦に投入され、次々と、撃沈、未帰還になって行った。

 

そして、もう一つは、やはり「潜水艦」としての性能の低さ。

何に対して、性能が低いのかと言えば、ドイツ海軍の「Uボート」に対して。

大西洋では、第一次世界大戦、そして、第二次世界大戦の初頭、ドイツ海軍の「Uボート」が、猛威を奮っていた。

イギリス海軍、アメリカ海軍は、この「Uボート」への対策に、様々な作戦を練り、そして、新しい兵器を開発し、次第に、「Uボート」を追い詰め、活動不能にまで追い込んで行く。

その「Uボート」に対抗して生まれたアメリカ海軍のノウハウを持ってすれば、日本の伊号潜水艦を追い詰めることは、それほど、難しいことではなかったよう。

 

開戦時、日本海軍が保有していた潜水艦は、伊号、呂号、波号、計64隻。

戦争中に建造をした潜水艦は、伊号、呂号、波号、計116隻。

そして、127隻の潜水艦を、日本は、戦争で失うことになる。

終戦時、残っていた潜水艦の中で、戦力として使えるレベルの潜水艦は、わずかに10隻。

他は、老朽艦、または、小型の波号潜水艦ばかり。

 

その中で、真珠湾攻撃から、終戦まで、戦争を戦い抜き、生き残った板倉艦長は、有能であると当時に、非常に、幸運でもあったのでしょう。

 

そして、潜水艦の乗組員が、潜水艦の中で、どのような生活をしていたのか。

イラストと共に、自身の体験をユーモラスな感じで記したのが、この本。

 

 

 

 

 

 

1981年に公開された西ドイツ映画「Uボート」は、この潜水艦乗組員の過酷な生活の様子が詳しく描かれていて、なかなか、興味深いです。

 

ちなみに、太平洋戦争で失われた日本海軍の艦艇の50パーセント以上は、アメリカ海軍の潜水艦の攻撃によるものだそうです。

潜水艦というものが、いかに、重要な兵器だったのかが、よく分かる。

 

ちなみに、第二次世界大戦で使われた「潜水艦」は、正しくは「可潜艦」と呼ぶそうですね。

つまり、「潜水することも出来る艦」ということ。

基本的には、「水上航行」を行い、必要な時にだけ「潜水」をする艦ということ。

 

そして、「常に、潜水をして行動をする」ことを前提に建造をされた最初の潜水艦は、ドイツの「UボートXXⅠ型」ということになるそう。

しかし、この「XXⅠ」は、実戦には間に合わなかった。

非常に高性能の潜水艦で、戦後のテストでは、アメリカ、イギリス海軍の対潜部隊が、探知をすることが出来なかったという話もあるようですね。

戦後、この「XXⅠ」型を参考に、「潜水艦」の歴史が始まることになる。