大和型戦艦は、世界最大、最強の戦艦ということで、人気は高く、様々な本が出版されていますよね。

そして、どちらかと言えば、ネームシップである「戦艦大和」の方が、注目が高いようで、本になっているテーマとしても、「戦艦大和」の方が、多いのでしょう。

 

戦艦大和は、やはり、旧日本帝国海軍、連合艦隊の象徴であり、沖縄に向けて出撃をした「天一号作戦」では、片道の燃料だけを積み、沖縄に到着をしたら、海岸に座礁させ、「浮き砲台」になる予定だったとも言われています。

もっとも、この「浮き砲台」になるという作戦は、実現可能性は、ほぼ無く、単なる、伝説のようなものなのでしょう。

そして、沖縄に向かう途中で、アメリカ軍の圧倒的な攻撃を受け、戦艦大和が撃沈されることも、当然、想定をされていたはず。

つまり、これは、生還を予定しない「特攻作戦」で、最初から、戦艦大和の乗組員たちは、「死ぬ」予定だった。

そして、戦艦大和は、沖縄に向かう途中で、アメリカ海軍の空母機動部隊の艦載機による攻撃を受け、沈没。

昭和20年4月7日のこと。

この戦艦大和の沈没をもって、連合艦隊は、活動不能となり、事実上、消滅します。

 

なぜ、このような無謀な作戦が行われたのかと言えば、やはり、「戦艦大和」が連合艦隊の象徴であり、この「戦艦大和」を無傷のままで敗戦を迎える訳には行かなかったのでしょう。

そうでなければ、海軍の「面目が立たない」ということだったのではないかと想像します。

 

 

この戦艦大和の最期を、実際に体験をした人が書いたのが、この本。

昔、読んでみようと思ったのですが、文語調の文章の上に、漢字とカタカナで表記をされているので、挫折をしてしまいました。

 

そして、「戦艦武蔵」について。

 

小学生の頃、児童向けの本で「戦艦武蔵の最期」という本を読みましたが、それもまた、実際に、戦艦武蔵の最期を体験した人が書いた本。

 

 

恐らく、この本を、児童向けな内容にして、読み易くした本だったのだろうと思います。

今は、見当たらないよう。

 

そして、数年前に読んだのが、この本。

 

 

これは、タイトルの通り「戦艦武蔵」に焦点を当てた本で、色々と、興味深いことが書かれていました。

その中で、印象に残ったことを、いくつか。

 

大和型戦艦の最高速力は、27ノットですが、計画段階で、用兵側は「30ノット」の速力を要求していたそうですね。

この時代、27ノットという速力は、遅すぎるという訳ではないのですが、やはり、速いことに越したことはない。

しかし、これは、見送られることになる。

この「27ノット」という速度で、機動部隊と行動を共にすることが出来なかったと言われていますが、これは、誤解で、大和型戦艦が、機動部隊と行動を共にせず、常に、後方に控えていたのには、他の理由があるのですが、それは、また、別の話。

 

また、戦艦は、自身と同じ主砲を持つ戦艦を相手に戦うことを想定して防御力を考えるそうで、大和型戦艦は「46センチ」の主砲を相手に戦うことを想定して装甲を備えている。

しかし、この「装甲」にも、用兵側から「不十分」という考えがあったようですが、これも、限界がある話で、どうしようもない。

そして、問題は、この大和型戦艦の装甲が「リベット」で留められていたということ。

装甲自体は、46センチの主砲に耐えられても、何度も、衝撃を受けているうちに、リベットが外れる可能性があったよう。

もっとも、戦艦同士の撃ち合いなら、そういうことはあり得ない。

しかし、何度も、何度も、魚雷を撃ち込まれると、装甲が外れる可能性は、十分にあったようで、そこから水が入ったことで、爆発を起こしたのではないかとい話も。

 

また、大和型戦艦は、魚雷の一本、二本が命中したところで、何の問題もないのですが、ある時、戦艦武蔵が、一本の魚雷を受けたところ、その衝撃で、主砲の射撃指揮装置が故障を起こしたことがあったとか。

これは、何か、船体の構造に欠陥があったのではないかとも。

 

また、真珠湾攻撃で、機動部隊が大戦果を挙げたところ、戦艦武蔵の建造を中止しようという意見が出たそうですね。

しかし、ほぼ、完成に近づいていたため、そのまま、戦艦武蔵は、建造が続けられたそう。

 

しかし、「戦艦」に、ほはや、太平洋での出番は無かった。

「戦艦」に代わって脅威となったのは航空機で、大和型戦艦もまた、対空気銃が、大量に増設されることになる。

しかし、意外なことに、この対空気銃による「対空戦闘」の訓練は、ほぼ、行われることが無かったそうですね。

つまり、乗組員たちは、ほぼ、ぶっつけ本番で、対空気銃を扱っていたということのよう。

これでは、戦果を挙げるのは難しい。

 

そして、戦艦武蔵は、「レイテ沖海戦」で、シブヤン海で沈没をすることになる。

 

この時、戦艦武蔵は、出撃直前に甲板を塗り直していて、とても、目立っていたそうですね。

これは、戦艦武蔵に、敵の航空機の攻撃を集中させるための「被害担当艦」としての役割を果たすためだったのでは、と、言われることもあるようですが、これも間違いのよう。

この時、戦艦武蔵の艦長は「戦艦武蔵」は、絶対に沈まないという信念を持っていたそうですね。

そのために、戦闘前の意気込みを表すような感じで、甲板の塗り直しを行ったのでしょう。

しかし、結果、それが、戦艦武蔵に、被害が集中することになってしまった。

そして、戦艦武蔵は、沈没をする。

 

また、大和型戦艦のような大型艦は、急激に舵を切ると、著しく、速度が落ちるそうですね。

二度、三度と、急激な舵を切ると、速度は、ほぼ、0になってしまうということ。

そのため、「レイテ沖海戦」の前には、「敵機の雷撃、爆撃を回避するよりも、全速力で直進を続けた方が良いのではないか」という意見も出たよう。

しかし、それは、見送られたよう。

やはり、回避運動は、ある程度、あった方が有効だということなのでしょう。

 

さて、これは、別の本に書いてあったことですが、この「大和型戦艦」は、確かに、世界最大、最強の戦艦と言えるものですが、実は、目新しい技術というものは何もなく、堅実に作られていたそうですね。

つまり、大和型戦艦は「新しい戦艦」だったとは言えないよう。

やはり、日本の技術力は、欧米に比べると、大きく見劣りをする。

それは、仕方のないことだったのでしょう。