「宮武外骨」という人を、御存じでしょうか。

 

慶応3年(1867)に生まれ、亡くなったのは、昭和30年(1955)。

その生涯を「出版」というものに捧げた人。

そして、一貫して、貫いた姿勢は「反権力」というもの。

 

一生のうちに、膨大な数の雑誌、新聞、本を出版していますが、多くが、短命に終わっている。

しかし、とにかく、「出版」というものに賭ける情熱が、尋常ではない。

 

 

 

 

とにかく、「反権力」を貫いたため、検閲のあった時代、発禁処分を受けた出版物は、数多い。

また、自身、何度か、投獄もされている。

 

最も有名なのは、歴史の教科書にも登場する「大日本帝国憲法」発布の錦絵を、パロディにし、「大日本帝国憲法」そして「明治天皇」を揶揄するような出版物を刊行し、「不敬罪」によって、3年8か月にも渡って投獄されたこと。

この時、宮武外骨は、まだ20代の前半。

この出来事が、外骨が、生涯に渡って「反権力」を貫くきっかけになったよう。

 

宮武外骨の出版物の特徴は、「反権力」の他には、「ユーモア」に溢れていること。

そして、「猥褻」ということにも、こだわりがあったよう。

更に、過激とも思える他者への攻撃。

 

宮武外骨が出版をしたものの中でも、最も、成功し、知名度が高いのが「滑稽新聞」です。

 

 

この「滑稽新聞」は、今、読んでも、とても面白い。

 

ちなみに、宮武外骨の「外骨」とは、本名です。

元々は、「亀四郎」という名前でしたが、17歳の時に、自ら、改名をしたそう。

この「外骨」という名前を、本名ではなく「号」だと勘違いされることも多かったようで、「是、本名也」というハンコを持ち歩いていたとか。

 

この話だけを見ても、面白い人物だったということが分かります。