平安時代末期、東北地方を支配した「奥州藤原氏」。
なぜ、「藤原」を名乗る人が、東北地方、「奥州」の支配者となったのか。
この本は、「蝦夷」「蝦夷の末裔」から続く、同じ著者の、言わば「東北三部作」とも言える本。
内容は、なかなか、難しく、「奥州藤原氏」について、概要を知ってから、読んだ方が良いのかも。
この本は、とても、分かり易く書かれていて、あまり、知識の無い人でも、読みやすいかも。
個人的に、この「人を歩く」シリーズは、大好きな本で、それほど、分量は多く無いのですが、内容は、濃いもの。
そして、関連史跡も、数多く、紹介されていて、分かり易く、面白い。
さて、この「奥州藤原氏」の祖となるのが、藤原清衡です。
なぜ、藤原清衡が、奥州の支配をすることになったのでしょう。
藤原清衡の父は、藤原経清という人物です。
この藤原経清は、役人として東北に下った、在庁官人で、当時、陸奥国で、大きな力を持っていた安倍氏と良好な関係を築き、安倍頼時の娘を妻にする。
しかし、安倍氏は、朝廷に反乱。
当初、経清は、安倍氏を離れ、源頼義と共に、安倍氏と戦うことになるのですが、安倍氏と親しかったことから、その関係を疑われ、命の危険を感じて、安倍氏の元に走ります。
安倍氏が、源頼義を追い込むほどの戦いをすることが出来たのは、この藤原経清の力によるものとも言われていて、最終的に、安倍氏が滅びた時、藤原経清は、捕縛され、処刑されます。
この時、処刑をされた藤原経清の妻は、安倍氏を滅ぼした清原武則の息子、清原武貞の妻として迎えられ、経清の一人息子だった、まだ幼い清衡もまた、養子としてむかえられ、清原一族の子、清原清衡として成長することになります。
この清原武貞には、真衡、家衡という実子が居て、武貞の死後、嫡男だった真衡が、清原家の家督を相続します。
しかし、この清原真衡は家督相続後、強引な政策を推し進め、清衡、家衡は、手を組み、兄、真衡と対立。
ついに、武力衝突に至ります。
「後三年の役」の始まりです。
当時、陸奥守だった源義家は、当初、真衡を支援。
真衡は、源義家の支援で、清衡、家衡を討ち、降伏させますが、その直後、真衡は、急死をしてしまいます。
清原氏は、清衡、家衡の二人で、分割相続されますが、これに不満を持った家衡は、清衡を襲撃。
しかし、何とか、危機を脱出した清衡は、源義家に支援を受け、逆に、家衡を滅ぼします。
清原氏の支配地域を手に入れた清原清衡は、姓を、実の父の姓である「藤原」に変えます。
奥州藤原氏の祖「藤原清衡」の誕生です。
この「奥州藤原氏」は、昔は、「藤原という姓は、詐称ではないか」とも言われていたそうですが、今では、確かな史料から、藤原経清が都の藤原一族で間違いないことが確認をされているそうです。
そして、奥州藤原氏は、基衡、秀衡、泰衡と続く訳ですが、なかなか、興味深いもの。