かつて、日本の東北地方に、広く、住んでいた「蝦夷」と呼ばれた人たち。
以前から、「蝦夷」が、どのような人たちだったのか、興味を持っていたのですが、なかなか、勉強をする機会が無く、ようやく、読んだのが、この本。
なかなか、興味深いですが、内容は、少し、難しくもある。
そして、そもそも、「蝦夷」に関しては、よく分からないというのが実状のよう。
なぜならば、「蝦夷」側の文献史料というものは皆無。
朝廷側に残された文献史料の中から「蝦夷」に関するものを集め、推測をするしかない。
他には、考古学的な史料から、推測をするしかない。
もっとも、この「蝦夷」という言葉自体が、よく分からないということ。
なぜ「蝦夷」なのか。
そして、他にも、様々な呼び名があるよう。
さて、この本を読んだ印象から「蝦夷」について、簡単に、まとめてみます。
基本的に、「蝦夷」とは、東北地方に住んでいた朝廷の支配に従わない人たち。
仮に、朝廷の支配を受ける人たちを「和人」とすると、「蝦夷」は「和人」とは異なる文化、生活習慣を持つ人たちだったようですね。
朝廷は、東北地方に侵出をし、「蝦夷」に対して、どのような対処をしようとしたのか。
まずは、「柵」と呼ばれる施設を建設し、そこを行政、軍事の拠点にしたようですね。
そして、他の地域に住む「和人」を、集団で、その「柵」の周辺に移住させる。
つまり、今で言う「入植」のようなものでしょう。
そして、この「柵」を中心とした「入植地」の周辺に住む「蝦夷」たちに、自分たちの支配下に入るように懐柔をして行く。
この「柵」に住む「和人」に従う「蝦夷」も居れば、反発をして、抵抗をする「蝦夷」も居る訳で、そういう敵対的な「蝦夷」には、武力で抑えつけることになる。
この「和人」に懐柔され、従うようになった「蝦夷」は、一般的に「俘囚」と呼ばれたよう。
もっとも、これには、他の呼び方もあったということ。
そして、「俘囚」の中には、集団で、他の地域に強制移住されられる人たちも多かったよう。
これは、文化、生活習慣の違う「蝦夷」の人たちを、強制的に「和人」に同化をさせる政策の一つだったのでしょう。
しかし、他の地域に強制移住をさせられた「俘囚」の人たちは、差別的な扱いを受ける場合も多く、反乱を起こす場合もあったよう。
当然の話でしょう。
蝦夷地に住む「アイヌ」の人たちを別にすると、日本は、大古の昔から、同じ文化、生活習慣を持った人たちが、ずっと、同じように存在をしていたと、漠然と感じている人が多いのではないでしょうかね。
しかし、かつては、「異文化」を持つ「蝦夷」と呼ばれる人たちもまた、「日本」の中に存在をしていた。
「日本人」つまり「和人」は、彼らの生活習慣、文化を、この世から消し去り、無理矢理、同化させてしまったということですよね。
こういう歴史は、学校の授業では、なかなか、習わないこと。