中島敦の小説に「李陵」という作品があります。
中島敦と言えば「山月記」「名人伝」と言った、中国の古典を元にした短編小説が有名ですよね。
その文章もまた、漢文の雰囲気を漂わせて、緊迫感のある、固い印象のもの。
今の小説を読みなれた人には、少し、読みづらいということになるのかも。
さて、この「李陵」とは、古代中国、前漢帝国の武将の名前。
紀元前99年、李陵は、武帝の命令を受け、北方遊牧民族の「匈奴」と戦っている将軍、李広利の援軍として、五千の軍勢を率いて出陣。
しかし、匈奴のリーダー「単于」の率いる三万の大軍と遭遇。
李陵は、単于の大軍を相手に、巧みな戦術で立ち向かいますが、激戦の末、降伏をすることになる。
中国を支配する「漢民族」にとって、北方の「遊牧民族」は、常に、安全を脅かされる天敵のような存在。
古代、春秋戦国の時代から、遊牧民族への対処は大きな課題で、この遊牧民族の侵入を防ぐために、延々と、建設され続けたのが「万里の長城」と言うことになる。
この「李陵」の登場よりも少し前、将軍「衛青」、「霍去病」の二人の活躍によって、匈奴に大打撃を与えたことは、世界史の授業でも習うところ。
さて、なぜ、中島敦が「李陵」を小説の題材にしたのか。
それは、李陵と、その周辺人物の運命が、興味を引くものだったからだろうと想像をするところ。
匈奴との戦いに敗れ、捕虜となった李陵は、その人物を見込まれ、単于に厚遇されます。
単于は、何とか、李陵を味方に引き入れたいと誘いますが、李陵は、それを断り続ける。
しかし、武帝の元に「李将軍が、匈奴に協力をしている」という情報が入り、李陵の一族は、武帝によって殺害される。
そして、一族を殺された李陵は、ついに、単于に協力をすることになる。
一方、前漢帝国では、「李陵が、匈奴に敗れ、捕虜になった」という知らせを受け、武帝を始め、皆が、李陵を非難する中、唯一、「司馬遷」だけが、李陵を擁護することになる。
しかし、その後、李陵が、匈奴に協力をしているという情報が入ったことで、司馬遷には「宮刑」という厳罰の処分が下ることになる。
そして、李陵が匈奴に下ったのと同じ頃、前漢帝国から使者として匈奴に来ていた「蘇武」という人物がいて、陰謀に巻き込まれた後、抑留をされることになる。
自殺を図った蘇武でしたが、一命を取り留め、その後、単于の誘いを拒否。
単于の命令で、厳しい環境に置かれながらも、匈奴に屈することなく、自らの信念を貫くことになる。
小説「李陵」は、前漢帝国の武将でありながら、匈奴に屈することになった李陵を主人公に、それを擁護する司馬遷、そして、あくまでも、匈奴に屈しない蘇武の三人の物語。
この小説「李陵」は、中島敦の遺作になるそう。
喘息の悪化によって亡くなった時には、まだ、33歳という若さ。
小説「光と風と夢」は、芥川賞候補にもなっているそうですが、受賞が出来なかったそう。
太宰治が芥川賞を受賞出来なかったことは有名ですが、中島敦も、その一人。
今では、考えられないですよね。