「日本の歴史を学ぶ上で、宗教に関することが抜け落ちているのは、問題だ」
と言った意味のことを、作家の井沢元彦さんが、本の中で書いていました。
確かに、それは、その通りで、今の時代、「迷信だ」「非科学的だ」と言って、一蹴されることも、かつては、厳然として、そこに存在をする「事実」だったはず。
そのため、「宗教」というものは、恐らく、現在、一般の人たちが考える以上に、重要で、非常に、強い力を持って、社会に影響を及ぼすものだった。
その中で、時の為政者が、非常に、気を遣って対処をしていたのが「怨霊」です。
この本は、かつて、日本の社会に存在をした「怨霊」について書かれたもの。
とても、興味深く、面白いものでした。
政治的な争いや、軍事的な戦争など。
敵を倒し、「死」に至らしめなければ、権力を握ることは出来ない。
そして、敵を倒し、相手を「死」に至らしめた権力者が、まず、何をするのかと言うと、死んだ相手が「怨霊」にならないように、「鎮魂」をすること。
これは、非常に、重要なことだったそうです。
あの「平家物語」が生まれた大きな目的は、滅びた平家の魂を鎮めることだったよう。
また、「太平記」にも、吉野で亡くなった後醍醐天皇の魂を鎮めるという意味もあったよう。
足利尊氏が、全国に「安国寺」を作ったのも、戦乱で亡くなった人たちの魂を鎮めるため。
かつて、日本の社会では、自然災害や、自身の身に起こる不幸などは、「死んだ人」が「あの世」から影響を及ぼしていると考えられていたそう。
そのため、古くから、日本では、「死者」を、どう葬るかというのは、非常に、大きな問題だったそう。
死者の「荒魂」を、穏やかに鎮め、「和魂」にするためには、どうすれば良いのか。
そこに、「仏教」が入り込み、現在に繋がることになる。
ちなみに、「怨霊」には、ランクがあったそうで、「身分の高い人」ほど強力で、「悲惨な最期」を迎えた人ほど強力な「怨霊」になる。
日本史上、最強の「怨霊」と言われるのが、崇徳上皇です。
崇徳上皇は、「保元の乱」で敗れ、讃岐国に流されて、亡くなることになる。
「上皇」という身分と、その不幸な生涯、そして、政治的、軍事的戦いに敗れ、地方で亡くなる。
まさに、「最強の怨霊」にふさわしい。
この崇徳上皇の「怨霊」を鎮める儀式は、朝廷の中で、明治時代まで続けられていたそう。
菅原道真の「怨霊」は、それを祭り上げることで鎮め、今では「天満宮」という神様になっている。
平将門の「怨霊」は、今でも、社会に影響を与えているという話も。
今の時代、新たな「怨霊」が生まれるということは無いのでしょう。
でも、知らないうちに、今の社会も「怨霊」の影響を受けているのかも。