明徳3年(1932)、室町幕府将軍足利義満は、南北朝の合一を達成。
吉野に居た後亀山天皇は、京都に戻ることになる訳ですが、この時、決められた「天皇は、南朝系、北朝系、交互に出す」という約束は、守られなかった。
そのため、後亀山天皇以降、その血統を継ぐ小倉宮や、南朝を支持する人たちが、室町幕府に対して、度々、反乱を起こすことになる。
それらの勢力が、その後、「後南朝」と呼ばれたそうです。
この「後南朝」をテーマとした一般向けの本は、この本くらいではないでしょうか。
そもそも、「後南朝」をテーマとした本を読んでみようかという人は、少ないのかも。
この「後南朝」の勢力の蜂起は、弱小で、多くが、あっけなく幕府に制圧されることになる。
しかし、その中で、特異な事件が、一つ。
それは、「禁闕の変」と、それに続く「長禄の変」です。
嘉吉3年(1443)9月、源尊秀という人物が、数百人の武装勢力を率いて御所に侵入し、「三種の神器」のうち、剣と玉璽を奪って逃走。(「禁闕の変」)
源尊秀の乱は、すぐに鎮圧をされますが、剣は奪還したものの、玉璽は、後南朝勢力が持ったまま、更に、逃走を続ける。
何とか、玉璽を奪還したい幕府は、「嘉吉の乱」で滅ぼされた赤松氏の遺臣の申し出を受け、赤松氏の復興を条件に、玉璽の奪還作戦に乗り出す。
赤松氏の遺臣たちは、後南朝勢力に接近。
南朝の天皇の皇胤である兄弟を殺害し、玉璽の奪還に成功。
赤松氏は、復興されることになる。(「長禄の変」)
この「禁闕の変」から「長禄の変」にかけて、上手く、歴史小説にすれば、面白いものになると思うのですが。
自分に才能があれば、書いてみたいと思うところ。
さて、あの「応仁の乱」の時、天皇を細川勝元の東軍に握られた西軍の総大将、山名宗全は、小倉宮の後胤と言われる人物を、陣中に招く。
これは「西陣南帝」と呼ばれたそう。
しかし、間もなく、山名宗全が亡くなり、「西陣南帝」は、見捨てられ、京都を離れることになる。
文明11年(1479)、小倉宮を称する人物が、越後国から越前の国に入ったというのが、史料に残る、最後の「後南朝」の動向だそう。
本のタイトルの通り、後醍醐天皇に始まる「南朝」は、その後、歴史の「闇」の中に消えて行った。
時代の歯車が違えば、天皇になっていたかもしれない人たち。
彼らは、どのような思いを持っていたのでしょう。