水木しげるさんの漫画「ゲゲゲの鬼太郎」は、何度も、映像化をされた名作漫画で、恐らく、これからも、この「ゲゲゲの鬼太郎」は、何度も、繰り返し、映像化をされる作品になるでしょう。
なぜ、この「ゲゲゲの鬼太郎」が、時代を越えて愛される作品になっているのか。
その考察は、さておき、非常に、面白い作品であるということには、違いない。
さて、この「ゲゲゲの鬼太郎」は、そもそも「墓場の鬼太郎」というタイトルだったそう。
この「墓場の鬼太郎」が、アニメ化をされるという話になった時、やはり「墓場の」というタイトルは、適切ではないのではないかと問題になり「ゲゲゲの」と変更されたそう。
確か、この「ゲゲゲの」という言葉は、主題歌の歌詞から来ているということだったはず。
つまり、アニメよりも先に、主題歌が存在していたということ。
そして、この「墓場の鬼太郎」よりも前、「鬼太郎」の原点と言えるのが、貸本時代の「墓場鬼太郎」でしょう。
この「墓場鬼太郎」は、その後、多くの人たちがイメージする「鬼太郎」とは、随分と内容の雰囲気が違う。
そもそも、絵が、不気味な感じで、子供向けではない。
内容も、ダークな感じで、鬼太郎は、正義の味方でも、悪を倒すヒーローでもない。
さて、この「墓場鬼太郎」には、更に、原点となる作品があったそう。
それは、紙芝居の「ハカバキタロー」という作品。
漢字にすれば「墓場奇太郎」となるそうです。
この「ハカバキタロー」を元にして、水木さんの描いた紙芝居「墓場の鬼太郎」が、「鬼太郎」シリーズの原点中の原点ということになる。
この「ハカバキタロー」には、更に、原点が。
それは、「子育て幽霊」という民話だそう。
ある夜、飴屋の戸を叩く女性が居た。
主人が、起きて、戸を開けると、そこには女性が居て、「飴を下さい」と、一文銭を差し出したそう。
主人は、怪しく思いながらも、飴を女性に売ることに。
翌日の夜も、その翌日の夜も、女性は、飴屋に来て、一文銭で、飴を買って行く。
そして、七日目の夜には、「もう、お金が無いので、これで、飴を売って下さい」と、女性は、羽織を差し出した。
主人は、可哀そうに思い、羽織と交換に、飴を売ってやる。
その翌日、主人が、店先に、その羽織を置いておくと、それを見た金持ちの主人が、「これは、先日、亡くなった娘の棺桶に入れていたものだ。なぜ、ここにあるのか」
と、飴屋に言った。
飴屋の主人から、その経緯を聞いた金持ちの主人は、娘を埋めた墓に行き、掘り返してみると、棺桶の中には、赤ん坊が居て、飴屋の飴を食べていたそう。
そして、棺桶の中に入れていた、一文銭、六枚と、羽織は、無くなっていたということ。
こういった、古くから、日本の各地に残る「民話」「昔話」「伝説」と呼ばれるもの。
今では、語る人も、聞く人も、ほぼ、居なくなってしまっているのではないかと想像します。
「ゲゲゲの鬼太郎」に限らず、水木さんの多くの作品には、こういった「民話」「昔話」「伝説」の要素が、多く、取り入れられている。
だから、時代を越えて、愛されるのでしょうね。