森鴎外の小説に「阿部一族」というものがあります。
古風な文章ですが、古文調というほど、読みづらいものではないです。
この小説は、史実を元にしたもの。
もっとも、史実、その通りではないですが、なかなか、面白いです。
物語は、江戸時代、肥後細川家の当主、細川忠利が亡くなる時から始まります。
当時は、「殉死」という慣習があり、それは、主君が亡くなれば、主君を慕い、自分も一緒に死ぬというもの。
細川忠利の重臣、阿部弥一右衛門は、当然、病床の主君、忠利に殉死を願い出ますが、忠利は、「生きて、次の藩主である息子の光尚を支えてくれ」と弥一右衛門に言い、殉死を許可しなかった。
そして、忠利は亡くなり、嫡男の光尚が、細川家当主となる。
しかし、忠利に目をかけられながら、殉死をしなかった弥一右衛門には、細川家家臣の中から、大きな非難が浴びせられることになる。
その非難に耐え兼ねた弥一右衛門は、切腹。
しかし、この弥一右衛門の切腹は主君、光尚の「殉死を禁止する」という命令に背いたとして、阿部家には、厳しい処分が下ることになる。
次々と、理不尽に追い詰められた阿部一族は、ついに、一族、屋敷に立てこもり、細川家に対して反旗を翻す訳ですが、藩からの討伐を受け、一族、全滅をすることになる。
主君の遺命を守ろうとしたために、家中から反感を買い、最終的に、一族が滅びる。
理不尽な話。
さて、なぜ、森鴎外が、この小説を書いたのか。
この「殉死」というテーマを小説にしたのは、前年に、明治天皇が崩御し、乃木希典が「殉死」をしたということが、社会的に大きな話題になっていたことが影響をしたそうです。
この乃木希典と殉死を扱ったのが、司馬遼太郎の小説「殉死」です。
この小説は、乃木希典という人物と、その「殉死」をテーマにしている訳ですが、この司馬遼太郎の「殉死」と「坂の上の雲」では、乃木希典を「愚将」として評価をし、それが、その後、世間一般に広まったということのようです。
やはり、歴史観について司馬遼太郎の小説の影響は、非常に、大きいということ。
ちなみに、森鴎外は、作家であると同時に、陸軍の軍医としても活躍し、そのトップにまで登りつめたことでも有名ですよね。
何と、19歳で、東京大学医学部を卒業した天才。
やはり、そもそも、頭の出来が、普通の人とは違うのでしょう。