宮本武蔵は、「剣豪」として、最も、有名な人物なのではないでしょうか。

それは、間違いなく、吉川英治さんの小説「宮本武蔵」の影響なのでしょう。

 

 

 

以前、この小説が書かれた経緯のことを書いたものを、どこかで読んだ記憶があります。

この小説以前、「歴史上、最も、強かった剣豪は誰か」という議論が、有名作家の間であったそうです。

「宮本武蔵こそ、最高の剣豪だ」という意見を持っていたのが、菊池寛。

「宮本武蔵は、大した剣豪ではない」という意見を持っていたのが、直木三十五。

吉川英治の小説「宮本武蔵」は、この論争に答えたものだと書かれていたと思います。

つまり、吉川英治さんは、菊池寛の意見に同意、と、言うことだったのでしょう。

 

もっとも、この小説「宮本武蔵」の内容は、ほぼ、フィクションで、史実とは、大きな違いがあるよう。

しかし、物語は、非常に、魅力的で、「名作」であることには間違いない。

 

この吉川英治「宮本武蔵」は、何度も、映像化をされていますよね。

個人的には、もう40年ほど前に、NHKの「水曜時代劇」で、大河ドラマのように一年間に渡って放送された、役所広司さん主演の「宮本武蔵」が、非常に、良かった。

 

さて、宮本武蔵、本人が書いたものとして有名なものが「五輪書」ですよね。

これは「剣術の理論」が書かれたものですが、いわゆる「人の生き方論」のような感じで、広く、読まれているよう。

 

 

 

昔、読みましたが、他の剣術理論の書よりは、読みやすく、分かり易かった印象です。

そのため、広く、人気があるのでしょうが。

 

さて、「宮本武蔵は、強かったのか」と言う議論に対して、個人的な考えを述べますと、「強かったのでしょうが、当時の世間の評価は、それほど、高いものではなかったのだろう」という印象を持っています。

理由としては、やはり、当時、「剣豪」として名高い人たちは、数多く、居ましたが、彼らは、大名から、剣術師範として引く手あまただったよう。

しかし、宮本武蔵の場合は、熱心な仕官活動にも関わらず、結局、自分の思うような待遇は得られなかったよう。

それは、当時の「宮本武蔵」という人物への評価だったのだろうと思います。

 

その理由として、一つは、宮本武蔵は「高名な剣豪の弟子ではなかった」ということ。

もう一つは、「弟子の中から、高名な剣豪が出なかった」ということ。

この二つが、宮本武蔵の評価が低かった原因なのではないでしょうか。

 

その中で、「宮本武蔵」という人物が、今、現在、これほど高名な剣豪として名を残しているのは、「二刀流」という他に類の無い、独自の剣術を創ったことにあるのでしょう。

正確には、確か「二天一流」または「円明流」と言ったと思います。

もし、宮本武蔵が「二刀流」でなければ、その後も、ずっと、無名の剣豪だったのかも。