南方熊楠という人。
特徴的な名前なので、名前は、見たことがあるという人は、多いのかも。
しかし、結局のところ、何をした人なのかというのは、知っている人は、少ないのかも知れない。
最も、有名なのは「粘菌」の研究ですよね。
この「粘菌」とは、生活環境によって、アメーバのように動き、微生物を食べるという不思議な植物。
動物なのか、植物なのか。
昭和天皇もまた、この「粘菌」に興味を持っていて、和歌山の熊楠に会いに来たというのは、有名な話。
昭和4年、熊楠は、戦艦長門の艦上で、天皇に「粘菌」の講義をし、標本を献上する。
もう一つ、南方熊楠を語る時に言われるのは、抜群の記憶力により、十数か国語を話すことが出来たということ。
その「博覧強記」ぶりは、有名なところ。
アメリカ、イギリスに15年ほど、滞在。
後に中華民国を建国する孫文と知り合い、親しく、交流をする。
また、雑誌「ネイチャー」への寄稿も、有名な話。
この「南方熊楠」に関しては、様々な本が出ていますが、どうも、イメージが掴みづらい。
それは、南方熊楠自身が、イメージの掴みづらい人物だったということが原因なのだろうと思います。
その中でも、南方熊楠を知る上で、分かりやすく、面白いのが、この本。
この本は、読み物として、非常に、面白かったです。
入門として、良いのではないでしょうか。
そして、「南方熊楠」という人の全体像を掴むには、この本が、とても、よく、まとまっていて、分かりやすかったです。
「南方熊楠」に関する本を、いくつか読んで、どうも、よく分からなかった部分が、この本を読むことで、すっきりと、まとまりました。
さて、漫画家の水木しげるさんは、この南方熊楠のことが、大好きだったそうです。
この南方熊楠の人生を、水木さんは、漫画にしています。
さて、少し、余談。
子供の頃から、抜群の記憶力を持っていた南方熊楠。
あの司馬遼太郎「坂の上の雲」で有名な、夏目漱石、正岡子規、秋山真之と、東大予備門で、同期だったそうです。
しかし、常識を外れた、ある種の「奇人」だった熊楠は、東大を、早々に、退学し、それから間もなく、アメリカに渡ることになる。
アメリカでも、学校に入学をしたものの、すぐに退学をしたよう。
熊楠には、学校生活という枠の中で生活をするというのは、とても、無理なことだったようです。
植物学や、民俗学で、大きな功績を残した南方熊楠ですが、全て、独学だったということ。
また、日本で、最初に、自然保護活動を行ったのも、熊楠だという話。
和歌山県田辺湾にある「神島」は、今、天然記念物に指定されているそうですが、これは、熊楠の熱心な自然保護運動が、功を奏したものだそうです。