芥川龍之介という作家。
夏目漱石と並んで、日本国民に、最も、馴染みのある文学作家の一人ではないかと、勝手に、思っているところ。
芥川龍之介と聞いて、まず、思い出すのは、やはり、「羅生門」「鼻」といった、初期の作品、と、言うことになるのでしょう。
いかにも「物語」といった内容の作品。
そして、次に思い出すのは、「杜子春」「蜘蛛の糸」といった、やや、低年齢向けと思える、教訓をもったお話。
最後に、「或る阿呆の一生」「河童」といった、晩年の、暗く、閉じこもった、または、研ぎ澄まされた作風の作品。
晩年と言っても、芥川龍之介が自殺をしたのは35歳の時。
まだまだ、若い。
個人的に、大好きなのは、最晩年に書かれた「歯車」「蜃気楼」の、二つの作品。
張り詰めた雰囲気と、研ぎ澄まされた文章。
独特の緊迫感を持った、緊張感のある作品が、好きです。
さて、芥川龍之介については、ある、個人的な想い出があります。
それは、僕が、大学生の時のこと。
僕は、法学部に通っていたのですが、ある先生が、講義中に、芥川龍之介の作品を貶し、「なぜ、文豪と言われるのか、分からない」と言った趣旨の話をしていたことがありました。
当時、すでに、芥川龍之介の作品が好きだった僕にとって、大いに、不満の残る話。
確かに、芥川龍之介の作品は、短いものばかりで「文豪」というイメージとは、少し、違うのかも知れない。
しかし、残された作品は、素晴らしいものばかりで、今でも、多くの人たちに読み継がれているということは、それが「名作」であることに、疑いはない。
芥川龍之介の作品は、文章が読みやすく、内容も理解しやすく、誰にでも、面白いと思えるものが多いですよね。
やはり、大学の先生をするような頭の良い人には、この「読みやすく」「分かり易く」「誰にでも面白い」という作品に、価値は、見出せないということなのでしょうかね。