現在小学校1年生の、息子・ヒノデ(仮名)。
近所の公立小学校の普通級に通っています。
発達凹凸があるので、3年通った保育園では加配を付けてもらっていました。
保育園の前には、約1年間、療育施設に通っていました。
療育にたどり着く前、どのようにして発達凹凸に気づいたのか。
我が家は、第一子の割には結構早い段階で発達凹凸に気づいた方だと思うのですが、それは、母親である私自身の、妊娠前からの精神状態に不安があったから、というのが大きいと思います…。
あるときから急激に外に出るのが怖くなり、対人恐怖症のような状態でした。
一番ひどいときは、家の中にいても外からの物音に怯えて布団をかぶって耳栓をるすなど、引きこもり状態でした。
どうしたら、このすさまじい不安感をなくすことができるのか、色々なことを試しました。
食事療法を試してみたり、各種サプリや健康食品をとってみたり。
あ、もちろん初期の頃には、メンタルクリニックにも行きましたけどね。
精神安定剤の軽いものを処方してもらった気がしますが、効いてる気がしなくて、数回通ってやめてしまいました。
薬が好きじゃない…というのも大きかったですが。
とにかく色々やって、数年経ち。
多少、調子が上向きになることもありつつ、完全復活にはほど遠い時期に、妊娠したんです。
一度流産し、その後何年も妊娠しなかったので不妊治療を始めたのですが、メンタルの不調で不妊治療に集中できず、妊娠はほとんどあきらめていたときのことで、本当にびっくりしました。
妊娠してからはさらに、口にするものには気をつかいましたが、圧倒的な不安感はどうにもならず。
妊娠中の日々の生活への不安から、生まれた後の不安まで、不安まみれでした。
それが、胎児に良くない影響を与えるんじゃないか。
そんな不安を、漠然と抱えていたんです。
だから、子どもが生まれたあと、少しでも様子がおかしいな、と思ったら即行動せずにいられなかったんだと思います。
では、具体的に、ヒノデ君のどういう様子から発達凹凸に気づいたのか。
その前に、まずは、妊娠期間中のこと。
まだ、対人恐怖症を引きずっていたので、妊婦検診に行くことすらものすごいストレスで、それまで引きこもりに近い生活だったのに、人と接する機会がぐんと増えて、必死で過ごしていました。
そんなメンタルを主軸とした不調は続いていたものの、妊婦健診ではほぼ問題なしでした。
妊娠中毒症の兆候もなく、切迫流産などの心配もなく。
ただ、つわりは結構ひどかったですね。とにかく気持ち悪くてご飯が食べられない。
でも、吐くことはほとんどなく、期間もそれほど長くなかったと思います。
予定日の1か月半ほど前から、胎児の体重があまり増えなくて、最終的に予定日の1日前の出産で2750gと、小さめで誕生。
夜中の2時頃に陣痛が始まってから、翌日の14時半頃の出産だったのですが、頭が見えてからなかなか出て来られず、吸引分娩になってしましました。(ほんとは、吸引までもう少し様子を見ても良かったかも…と、主治医の先生自身が後から言ってましたが)
生まれて数日くらいかな、吸引された頭がブヨブヨになってたのが心配でしたが、吸引分娩では仕方ないとのこと。退院する頃には気にならなくなっていたと思います。(うろおぼえ)
病院では、看護師さんや他の妊婦さんなど、絶えず人の気配があって、気持ちの休まる暇もないほどだったので、退院するときは本当にホッとしました。
…が。
退院してからの方がしんどかった。
人生で一番かも、というくらい、ストレスだらけの日々だったからです。
何といっても、妊娠前、一人で家にいても外の気配に怯えてた人間ですからね。
多少良くなってたとはいえ、元々のメンタル不調があったところへ、初めての育児。
また、里帰り出産で、実家に2か月ほどいたのですが、両親(特に父親)と生活のペースが合わない。
メンタル克服した今から考えると何てことない状況でしたが、当時の私には、些細なことが尋常じゃないほどのストレスでした。
それでも子どもはかわいくて、必死すぎるほど必死にお世話していましたが、寝顔を見ながら号泣することもしばしばでした。
その時期の息子の様子は、というと。
とにかく、起きてるときは抱っこしてないとずっと泣いている。
夜中もしょっちゅう目をさまして泣く。オムツもぬれてないのに。
フラフラの状態で起き上がっては、赤ん坊が眠るまで授乳をする。
朝昼関係なく、そんな状態でした。
何とか子どもが2、30分でも眠っている間に、最低限の用事を済ますという感じです。
実家で2か月過ごしたあと、自宅に戻ってからも同じような状況が続きました。
その後、1歳近くなる頃、少し遅めの離乳食開始。1歳3ヶ月で歩き始めました。
今思うと、歩く前から授乳のとき目が合いにくかったとか、とにかく抱っこしてないとダメだとか、把握反射が極端に弱かったとか、特徴があったことに気づきますが、歩き始めた頃から、特に「あれ?」ということが増えました。
まず、なんといっても多動がひどかった。
とにかく、じっとしていない。
前のめりぎみのすごい勢いでずんずん歩き、どこまでも止まらない。
つま先立ちもあった。
夜の寝つきが悪いので、疲れさせようと思って広い公園で好きなように歩かせていたら、豆粒のように小さくなるほど一人で遠くに行っても、いっさい振り返りもせず…。姿が見えなくなる前に、慌てて追いかけて捕獲、という感じでした(-_-;)
さらに、1歳半健診のとき。言葉の遅れが気になり始めました。
健診で聞かれる内容に「単語を5つ以上話す」というのがあります。
ヒノデは、ギリギリ5つでした。
あと、絵を見て指さしをするというのがありました。これもやらない。
自分で絵カードを指さして「もも」とか言うことはあっても、こちらからの質問には答えようとしない、という感じだったと思います。
このときは、健診のあとに個別相談を希望して話を聞いてもらいながら、オモチャで遊ぶ様子を見てもらいましたが「今の時点では何とも言えない。様子見で大丈夫でしょう」となりました。
何となくモヤモヤしながらさらに半年。
2歳を少し過ぎたあたりに、決定的な出来事がありました。
家の中で横目をしながら、同じ場所を行ったり来たりを繰り返す行動が見られたんです。
それまで、モヤモヤしながら「発達障害」を検索してどういう症状があるのか調べてたのですが、「横目で行ったり来たり」というのが自閉症の特徴として書かれてたのを思い出したんです。
そこから本格的にネットで調べまくり、「ひたすらミニカーのタイヤをまわす」「ずらっとミニカーを並べる」「つま先立ちで歩く」「ドライヤーの音を過剰に嫌がる」等、他にもたくさん、自閉症の特徴と当てはまることがわかりました。
言葉も、1歳半の5単語から、2歳を過ぎても、完璧に発音できるものは20個程度。
室内では呼べば振り向くものの、外で走り出したら呼んでも立ち止まらない。
そして、横目でテーブルのラインを凝視しながら、部屋を行ったり来たりする仕草を見て、これはもう間違いないと思い、地域の発達支援センターに、電話を入れたのでした…。
電話した当時は2歳3ヶ月くらいで「もう少し様子を見ては」と言われたのですが、数か月待ちの後、発達検査・面談をしてもらうと、「自閉スペクトラムについて」という書面を渡され、三つ巴のうち三つとも当てはまり、発達に凹凸が見られる等の説明を受け、週一回の短期療育の枠に入れてもらうことができました。
そこで3ヶ月の初期療育を受けたあと、未就園児のための療育施設を紹介してもらいました。
その療育施設に約1年通ったあと、加配の先生をつけてもらえる保育園に3年通いました。
年少・年中・年長と、加配付きで保育園を卒園し、支援センターでの発達検査や相談を経て、今は公立小学校の普通学級に通っています。
4月には2年生になります。
…生まれてから今までのことを振り返ると、大体こんな感じです。
発達の遅れに気づいてから、療育の他に何かできることはないかとさらにネットにかじりつく中で、栄養療法やバイオメディカル等の情報に行きつきました。
まずは出来ることからということで、GFCF(グルテンフリー・カゼインフリー)、農薬添加物除去など口に入れるものに気をつかい、毛髪ミネラル検査やOAT有機酸検査、IgG検査など各種検査を受けて、サプリの摂取も始めました。
これは、だいたい2歳~5歳半くらまで、約3年半続きました。
今は、オメガ3など少数のサプリとプロバイオティクスだけ続けていますが、小麦・乳製品は給食が始まってからは食べています。(給食で出る毎日の牛乳のみ除去)
大量のサプリや検査などのサポートをやめたのは、色々理由があるのですが、一度全部やめてみたとき(保育園年長のとき)、特に後退が見られなかったのが大きいです。
ただ、検査やサプリの効果がなかったとは思っていませんし、実際いくつかのサプリは続けています。
今後、カプセルが飲みこめるようになったら試したいサプリもあります。
でも、検査やサプリも有効であると認めつつ、私の中で大きく考え方が変わったのは
目の前の現実を変えるには、自分の意識を変えるのが一番だった
と、つくづく思い知ったことです…。
が、意識のことについては、また改めて。
次の記事で、受けた検査のことについてなど、思い出しながら書いてみようと思います。