「企業にいる間は身分を保証される」
とは言うけれど、実際はどうなんだろう?
母からは、会社に勤めていれば、安心して働けるし、やりがいを与えてくれる、と言われた。
正社員になる、上の立場になるという事は、ノルマが厳しくなっていくけれど、実力が認められていって発言権が得られて、自分のやりたい事が出来るようになるとか言いたいことが言えるようになると。
どうも、腑に落ちなかった。
若いから、経験がないから、というのとは違う感じだった。
私が得たいものは、そういうものでは無いということ。うまく表現できないけれど。
フリーランスになったって、起業したって、自由になれるとは限らない。
むしろ、別のしがらみに囚われる事もあるだろう。
でも、私のやりたい事は会社の中では出来ないことように思う。
会社からやりがいを与えられると母から言われたけど、私はやりがいは他人から与えられるものではないと思う。
自分の中で見つけるもの。自然と湧き上がるものと思う。
会社の誰かが、「こういうのがやりがいなんだ」と与えられても、そう言われても、自分の中で納得できなければ意味がないものだ。
他人が決めることではないと思う。
会社に勤めていれば、誰かが代わりに仕事をしてくれる。有給も使える。産休などの長期休職時も、お金を出してくれる。色々な保険が効く。
確かに、そうなんだけど。そうじゃない。
誰かが代わりに出来ることをしたいんじゃない。
「私だから出来る」事をしたいんだ。
まだまだ未熟だから、学んでいかなきゃいけない事があるから、組織に属する必要な時期はあるとは思う。
でも、私がやりたい事は「会社の中」では無いものだ。
病気になったからこそ、感じたことがある。
会社が、病気や怪我から守ってくれるわけではない。
自分の心を守ってくれるわけではない。
自分の大事な心を健康を損ねてまで得られるものって、一体なに?
病気になった後、私に残ったものって、いったい何だろう?
会社が実際に守ってくれるものって一体何だったんだろう?
きつい肉体労働と精神労働を対価に給料を得て、私は何をしたかったんだろう?
私の生きている時間を代償にして得たかったのは何だったのだろう?
「誰かに認めてもらいたかった」「褒めてほしかった」「自分の存在価値を感じたかった」「世間から見て立派な人間として見られたかった」
「国家資格を持っているから皆から称賛されるはずだ」
結果的には、全部ぼろぼろに崩れて意味を無くしていった。
何かで褒められても、一つミスして叱られるだけで自分の価値を否定されたような気持ちになり、絶望的な気分になった。
頭のなかで否定的な言葉がグルグルと渦を巻いていった。
自分で自分を認められなければ、受け入れられなければ、他人の評価や言動に一喜一憂しながら人生を送ることになる。
自分の存在価値を、人生を、他人に任せるという事。
今思えば恐ろしい事だ。
自分の幸せは、自分で決めるものだ。
独りでも組織の中にいても、私が私でいること。
自分で存在価値を認める事。何も出来なくても、ダメな部分があっても、失敗しても、「どうせ愛されている」「どうせ愛される」を前提に生きる事。
これが私の課題。
私が、私らしく人生を送れるようにすること。
それを責任をもって(結果を受け入れること)実行すること。
それが、生きるという事。