こちらへお越しの皆様 どうもお久しぶりでございます!
さとうちえでございます
なるたけ頻繁に(私のレベルの頻繁でございます)ちょこちょこ更新をばさせていただこうかと
思いつつも・・・結局変わらず「いつもどうり」の私でございます(苦笑・・)
昨夜久しぶりに近所の「神奈備山」でございます「生駒山」(おそらく・・ニギハヤヒ山である草香山からだと思います)の方角から(もろ、東です!)またまた
神様なのか何なのか・・・・御正体(?)のほどは別にどうにでもよろしいのですが・・・
(何神様だとか御神体だとか・・化身だとかは別にどなたでも、どーでも良いのです私は・・・)
もしかしたら「なんとかのみこと」と名称の存在するお方からの可能性もアリなのかも知れませぬが・・・
特に気になりませんし何とも特には思いません
どのような存在のお方なのか?なんとお呼びするお名前なのかとかは関係ないからです
重要なのはお声をお聞きしたお言葉と内容と強くお伝えになられている、是非とも気づいて欲しいと訴えていらっしゃる
「物事の趣旨」であり「わかりやすい解釈」であろうかとあくまで私はそこのところを強力に感じるのでそうしているだけです・・・・・・
いつ頃からか・・自然とこのように感じてそのような考え方をするようになりました
言い訳がましいとお取りになられましたら・・申し分けございせんが・・・
「それらのお声」は「いつも」というようなレベルに頻繁にお聞きするわけでもありません!
本当にたまにとか忘れた頃にとか・・・何も考えていない状態の時にお聞きします
私自体はエネルギーとそこから放たれている非常に微細な「波動」と呼ばれるものを直接感じて「その中身と内容や情報など」を読んだりすることが可能です
ダイレクトに言いますと・・・起きているときは絶えず身体のあらゆる部分で「それ」を常に「感じて」生活しているようなのですが・・「それ」に一日中反応しまくって「聞いたり、読んだり、解釈」するのに付き合っていると
まともに生活を送れません!!
それに感じるもの全部が全部「そう」なのか「本当」なのかわかりませんし
どうなのかもわからずにいちいち、付き合ってはいられませんしねぇ・・
とにかく超がつくくらい何にでも敏感に感じて反応してしまう体質ですのでなかなか日常生活を「普通に」送るのにはけっこう困難かといえばそうですし、そうするにはいろんな工夫が必要になってきます
このような「敏感体質」だと気づいて受け入れて生活するようになったのはつい、最近のことなのです
思い起こせば・・・幼少期(正確には幼稚園児の時からでしょーか・・・)の頃より少しずつ部分的に目だってはおりました・・・でも成長(精神的な)とともにあまり気にしなくなっていきました
でも大人になり社会に出ると否応なしにその体質は顔を見せ始めました
特に仕事をしていた頃・・人間関係などの経験により顕著に現れるようになりました
大人になりいろいろなことが簡単には行かなくなりそれどころか困難で複雑に物事が絡み始めるのですから
顕著に目だって出るのはあたりまえのことでした
そして・・・20代ではまだ気づくというよりもその部分に全然目を向けておらずそれ以外のことに意識を向けていたのでわかりませんでした
それがわかり始めたというか・・・「もしかしたら」
「そうなのではないか?」と意識し疑いだしたのは30代半ばのことでした・・・・
あるとき38歳ごろに「いくらなんでもわかるだろう?」というような事実がどんどん判明し「私みたいな体質の方たちが実に多くいらっしゃって日常生活を送るのに色々と苦しんでおられる」ということをネットや本などで知ることが出来ました!
そして38年間ずっと「そうであった自分」を受け入れることが簡単に出来ました
しかし面白いことにそのようにいったん、自分を認めて受け入れることが出来ると・・・・・
「そういう自分」であると感じる現象がいろんなかたちで自分の周囲で起こり始めます!
最初は不思議でしたがおもしろいし楽しんでもいました
でも最初は新鮮で良いのですがそれが度を過ぎるとそればかりを頼るようになり自分で考えたり決めたりすることが出来にくくなっていることに気づきます
もちろん全然良くはないことです!
不思議現象に惑わされ振り回され、やがて自分で考える決めることをしなくなり・・出来なくなり
そうなると元もとの「自分」がどこかへ行ってしまって「そこにいない」状態になるのです!
これは極めて危険なことです!
あってはならないことですよ
ひとであるにも関わらず、ひととしてちゃんといないのですから
ひととして機能していないも同じです
何でわかるかというと・・・実際にそのような時期がやはりあり、経験したのでわかるのです
私に限らずスピリチュアルや精神世界。霊的な世界へといったん足を踏み込むと・・・どなたであっても
一度は陥る可能性があることなのです
だからこそ「実生活とスピリチュアルのバランスをとるようにする」と言われているのですね
でも、一歩引いて客観的に見ますとそれって実に「あたりまえ」のことなのですよね!
また、それがどのようにわかったかといいますと私自身ある意味そのような類の世界やものに(そう呼ばれるもの)ほとほと疲れ果てましてはっきりいって「うんざり」してしまった所にあるようです
おそらく「そこ」に何か自分がずっと探しているもの(何なのかはわからないし浮かばない)が見つかるのではないかとか・・そこに自分の「魂の居場所」があるのではなかろうかとか・・まさしく自分が追い求めていた世界だとか
姿かたちのない「何か」という名称の・・・「偶像」のようなものでしょうか?
そのようなものを追い求めて「探しているふり」をして現実から目をそむけ(苦難や苦労、悲しみ、寂しさ、痛み)から
逃げ込む艇のいい「一時避難所」のようにしてしまっていたと感じます
あくまで私自身のことを申し上げております!
そしてほとほと嫌になった私はいったん完全にその類から意識的に離れました
現実に戻ることに決めました
そして現実的な視点を重視しその角度から必要なことを思考しつつ生活を送り続けました
あたりまえですが現実的な実際の生活はとてもよく周りが見えて聞こえて楽しいものでした!
現実的に入ってくるものには感動することや「ありがたい」という感謝の気持ちがたくさんありました!
そうしながらあたりまえの現実的な生活を送ることにより自分以外のいろんな社会的なことや世の中の流れ
に目が向き関心が起こり興味を必要であるなら持ち注目する楽しみが出来ました!
はっきりいって視野が何十倍にも広がりましたしいろんなところへ目が自然と向くようになりました
そしてさまざまな「聞く」ということに関して耳が広がりました!
こちこちだった頭もいろんなことを受け入れるほどに柔軟に以前よりはなれたと思います
それに従い嬉しいことにこころが「ここにある」と感じられまた自然と開き始めました!
もう、いいことずくめでした
五感を通して「感じる」ことの楽しさと爽快さと軽さったら言葉ではあらわしづらいですね!!
霊的なスピリチュアルな繋がりよりも五感とその向こうの第六感で感じるもの
人間に本来備わっている「本能」を信じることと(本能は嘘はつきません!)
「直感」で直接感じたものをただ信じること!それも「自分」について信じることの大切さ!
「潜在意識」から来ると思われるものに興味を積極的に持ちそこからいろんなことを感じて浮かぶものや
イメージ(繰り返し)するものを「それが自分にとって良いもの」であると少しでも感じたら
それを色眼鏡ナシで!ただうつった「そのもの」を「そのまま見る」そして漠然と信じて見る
信じて見るとその信じるという想念(良いもの)やエネルギーやがて大きく膨らみ具体化したり「行動」に繋がったり・・・・その状態を私は「願望実現」であるとみなしております
そうなると・・・・
霊的な精神的なことよりも・・・実際に呼吸をして生きている人間そのものに目がいき興味を示すようになりました
これは本当に意識は全くしておらずまたそのように気持ちを持っていったこともないのです!
そして更にその人間のこころに「すべて」があるのではないかと考えるようになりました
そこからよくいわれる「ボディー・マインド・スピリット」の3つが存在してひとであることとそのバランスを
いかにとるかが「生きる」ということなのではないかと思うようになりました
何でかは自分でもはて?なのですが自然とこの方向へ行きました
そこから更に「いのち」の大切さと重さと価値、存在する権利の平等性
「ひととして生きる、生かされる」ことに意味があることとその重要性
「ひとりひとりの生き方」の多様性と方向性
「人の一生とは己で責任を持ち、己で決め、選び、行動するもの」
「人生はどのようにでも描けるし、つくることができる」
「ひとはこころで感じ、見て、読み、理解することにより自身の真の答えを見つけることが出来る」
以上のようなことが次々と入ってきてじっくりと感じ(ひとつひとつ)「そういうものである」とわかることができました
これは私にとって真の意味で非常に大きな「転換」でした!
そして「いまの私」でいられるわけです(笑)
だからといって霊的なものや精神世界、スピリチュアルなことを否定するわけではございません!
実際に存在することばかりであると思います
ただ、「スピリチュアル」というものが私の中ではもっととっきやすい何か本来はもっとわかりやすい
単純なもの・・何かではなかろうかと考えるようになってきています
そのひとつが「日本」の国そのものです!
日本には実に八百万(やおよろず)の神々様方がおられます
日本各地あちらこちらに神様はおられます
神社はどこにでも存在しております
日本の神様は外国の他の神様や仏様、聖者の方たちとは全く異なった存在であると強く感じます
日本にはこういった神様方のお話・・「日本神話」がいくつもどこにでも存在してあります
実に色んな役割を持たれた神々様がたくさんおられます
これは世界中見渡してもなかなか見つからないとも思います
その神様を実にさまざまなかたちで崇め、祭り、感謝を祈りを捧げて来た
「信仰」と呼ばれるもの
特に「祈り」は日本各地の神社で日常的に大昔から存続し普通に行われていることです
手を合わせ何かについて感謝をし「祈る」という行いは独特であり日本を象徴するものであると思います
私は日本の神様のエネルギーの波動はとてつもなく高く強く清らかであるとはっきりいえます
そして信仰に限らず日本独特のものが日本ならではのものがたくさんあります!
それはもちろん「よき物、美しきもの」ばかりです!
たとえば・・・あいさつや感謝、お詫びなどの「礼儀」です
これをされて不快な気持ちにはまずなりませんよね?
特にあいさつや感謝はされていて気持ちが良く嬉しいものです!そして清々しいスカッとした気持ちにもなり
心地良いものです!それもいったほうも言われたほうも、双方お互いにそのような良い気分になるのです!
もちろんあいさつや感謝や心からのお詫びはすべて良き言霊です!その言霊から実に良い高い波動のエネルギーがたちまち生まれます!
あまり長くなるのでこれ以上は本日は書きませんが・・・・
一例を上げてあいさつなどの礼儀礼節を出しましたがこれ以外にも日本には実にさまざまな多くの
良きものや美しい文化言葉が存在しております
かなり前にブログでも書いた記憶があるのですが日本ほどこのような良き、美しきものが多く存在する国はなかなかないかと思うのです・・・・・
日本独特のものです!
これは実に貴重なものではないかと思いますね!
しれも現代的なことではなくてむしろ大昔からずっと存在し人々・・日本人によって伝えられてきた行われてきた
「日本独自のもの」です!
今、世界はいろんな分野でこの日本の良きものに興味を持たれ、注目し始めているのでは・・・という
動きを感じます
何をいいたいかと申しますと・・・・
これらのことはすべて「スピリチュアル」なことではないかと思うのです
よくいわれる一般の「スピリチュアル」などではなくて日本独自のこの国が出来てから日本人が存在し始めてからの・・・・生きるために生活を送るために自然となされてきたに過ぎないこと「繰り返し」なのではないかと
つまり日本固有の日本独特の「スピリチュアルなこと」です
それはあいさつをするとか・・・感謝をするとか・・ひとを敬うとか・・・助け合うとか・・・話をするとかみんなで踊りを踊るとかみんなで協力してひとつのことを成すとか・・・そういうごく一般のことだと思うのです
それらはひととしてお互い生活し生きるために必要ななくてはならないものです
もっと突っ込んで申し上げますと・・・
ひととひととの繋がりを生むためのものです
ひとはひとりでは生きていけないという事実に大昔から直面しての経験に基づくことなのではと・・・
ひととひととの繋がりはどんどん意識すれば広がっていきます
その広がりは「輪」となります
そしてその「輪」からはある共通するこころが生まれます
それは「和」のこころです
「和ごころ」は実に居心地良く良い気分にしてくれるものです!
はい
それこそが日本独自の
天然の日本生まれの美しきものなのです!
最初は全然違う内容のものを書く予定だったのですが・・・
いつもながら全く違う内容のものに相成りました(笑)
実は昨夜生駒山よりお聞きしたお声は何かを書くようにとのことでした・・・・
なんとなく「じゃあ」という軽い感じで「書こうか~~」という感じだったのですが・・
ただ私自身は何かネタもなく「これを書こう」という意気込みもありませんでした・・・・
「書くように」の内容というか・・・いったい何を書けばよいやら実のところ思案しておったのです
すると・・「席に着けばわかる」とおっしゃったのです
パソコンの前に座れば何を書くのかがわかるというのです・・・
でよくわからずとりあえず暇でしたので座って見ました(笑)
すると・・・・書き出すといつの間にかどんどん方向が進みこのような内容に・・・・
毎回本当にこの現象は不思議でなりません(汗)
でもいったん書き出すと何時間も進み・・・キリというかオチをなかなかつけられませんのです(笑)
本当に不思議なのですが頭で考えなくっても次々と書きながら先の内容や文章・・・言葉や表現に至るまで
どんどん入って来るのです!
そしてその入ってきたものをただそのままさ~~~~~~~っとひたすら書き綴っておるだけなのです!
う~~~ん不思議です・・こればかりは
前回の記事は書き終えた後一気にどど~~~~と倒れこむほど疲れが一気に来て眉間が重くぐ~~~っと
中から外から押されているような感覚が後日続き頭が響き・・かなりのものを(書く内容や文章)受け取ったため
それを表現するのにエネルギーをかなり使い果たしました
本日は確かにいつものようにそのままひたすら書いただけですが・・・・時間も同じくらい要したのですが・・・
なんででしょう?そんなには疲れませんでした
私は大丈夫です!
「来るもの」によって毎回エネルギーや波動が微妙に違うのでそのたびに自分の「超敏感体質」を思い知らされますが・・・ははは(笑)
この新年最初の月(1月)は身体に現れるエネルギーによる「浄化」がけっこう多く起こりキツかったです・・
眉間を中心とした前頭葉が重く固定されているようで・・・・・熱を持ち痛かったです・・・
首や肩もこり、痛みもあり辛かったですね・・・
ああ・・その間にいつの間にか42歳になっておりました~~
またしても自分の誕生日をすっかり忘れておりました・・・(汗)
この続き(?)は後日また更新させていただきます
では、本日もこちらへとお越しくださり、長い文章を最後まで御熱心に読んでいただきまして
本当にありがとうございます!心よりの感謝を申し上げます
さとうちえ
さとうちえでございます
なるたけ頻繁に(私のレベルの頻繁でございます)ちょこちょこ更新をばさせていただこうかと
思いつつも・・・結局変わらず「いつもどうり」の私でございます(苦笑・・)
昨夜久しぶりに近所の「神奈備山」でございます「生駒山」(おそらく・・ニギハヤヒ山である草香山からだと思います)の方角から(もろ、東です!)またまた
神様なのか何なのか・・・・御正体(?)のほどは別にどうにでもよろしいのですが・・・
(何神様だとか御神体だとか・・化身だとかは別にどなたでも、どーでも良いのです私は・・・)
もしかしたら「なんとかのみこと」と名称の存在するお方からの可能性もアリなのかも知れませぬが・・・
特に気になりませんし何とも特には思いません
どのような存在のお方なのか?なんとお呼びするお名前なのかとかは関係ないからです
重要なのはお声をお聞きしたお言葉と内容と強くお伝えになられている、是非とも気づいて欲しいと訴えていらっしゃる
「物事の趣旨」であり「わかりやすい解釈」であろうかとあくまで私はそこのところを強力に感じるのでそうしているだけです・・・・・・
いつ頃からか・・自然とこのように感じてそのような考え方をするようになりました
言い訳がましいとお取りになられましたら・・申し分けございせんが・・・
「それらのお声」は「いつも」というようなレベルに頻繁にお聞きするわけでもありません!
本当にたまにとか忘れた頃にとか・・・何も考えていない状態の時にお聞きします
私自体はエネルギーとそこから放たれている非常に微細な「波動」と呼ばれるものを直接感じて「その中身と内容や情報など」を読んだりすることが可能です
ダイレクトに言いますと・・・起きているときは絶えず身体のあらゆる部分で「それ」を常に「感じて」生活しているようなのですが・・「それ」に一日中反応しまくって「聞いたり、読んだり、解釈」するのに付き合っていると
まともに生活を送れません!!
それに感じるもの全部が全部「そう」なのか「本当」なのかわかりませんし
どうなのかもわからずにいちいち、付き合ってはいられませんしねぇ・・
とにかく超がつくくらい何にでも敏感に感じて反応してしまう体質ですのでなかなか日常生活を「普通に」送るのにはけっこう困難かといえばそうですし、そうするにはいろんな工夫が必要になってきます
このような「敏感体質」だと気づいて受け入れて生活するようになったのはつい、最近のことなのです
思い起こせば・・・幼少期(正確には幼稚園児の時からでしょーか・・・)の頃より少しずつ部分的に目だってはおりました・・・でも成長(精神的な)とともにあまり気にしなくなっていきました
でも大人になり社会に出ると否応なしにその体質は顔を見せ始めました
特に仕事をしていた頃・・人間関係などの経験により顕著に現れるようになりました
大人になりいろいろなことが簡単には行かなくなりそれどころか困難で複雑に物事が絡み始めるのですから
顕著に目だって出るのはあたりまえのことでした
そして・・・20代ではまだ気づくというよりもその部分に全然目を向けておらずそれ以外のことに意識を向けていたのでわかりませんでした
それがわかり始めたというか・・・「もしかしたら」
「そうなのではないか?」と意識し疑いだしたのは30代半ばのことでした・・・・
あるとき38歳ごろに「いくらなんでもわかるだろう?」というような事実がどんどん判明し「私みたいな体質の方たちが実に多くいらっしゃって日常生活を送るのに色々と苦しんでおられる」ということをネットや本などで知ることが出来ました!
そして38年間ずっと「そうであった自分」を受け入れることが簡単に出来ました
しかし面白いことにそのようにいったん、自分を認めて受け入れることが出来ると・・・・・
「そういう自分」であると感じる現象がいろんなかたちで自分の周囲で起こり始めます!
最初は不思議でしたがおもしろいし楽しんでもいました
でも最初は新鮮で良いのですがそれが度を過ぎるとそればかりを頼るようになり自分で考えたり決めたりすることが出来にくくなっていることに気づきます
もちろん全然良くはないことです!
不思議現象に惑わされ振り回され、やがて自分で考える決めることをしなくなり・・出来なくなり
そうなると元もとの「自分」がどこかへ行ってしまって「そこにいない」状態になるのです!
これは極めて危険なことです!
あってはならないことですよ
ひとであるにも関わらず、ひととしてちゃんといないのですから
ひととして機能していないも同じです
何でわかるかというと・・・実際にそのような時期がやはりあり、経験したのでわかるのです
私に限らずスピリチュアルや精神世界。霊的な世界へといったん足を踏み込むと・・・どなたであっても
一度は陥る可能性があることなのです
だからこそ「実生活とスピリチュアルのバランスをとるようにする」と言われているのですね
でも、一歩引いて客観的に見ますとそれって実に「あたりまえ」のことなのですよね!
また、それがどのようにわかったかといいますと私自身ある意味そのような類の世界やものに(そう呼ばれるもの)ほとほと疲れ果てましてはっきりいって「うんざり」してしまった所にあるようです
おそらく「そこ」に何か自分がずっと探しているもの(何なのかはわからないし浮かばない)が見つかるのではないかとか・・そこに自分の「魂の居場所」があるのではなかろうかとか・・まさしく自分が追い求めていた世界だとか
姿かたちのない「何か」という名称の・・・「偶像」のようなものでしょうか?
そのようなものを追い求めて「探しているふり」をして現実から目をそむけ(苦難や苦労、悲しみ、寂しさ、痛み)から
逃げ込む艇のいい「一時避難所」のようにしてしまっていたと感じます
あくまで私自身のことを申し上げております!
そしてほとほと嫌になった私はいったん完全にその類から意識的に離れました
現実に戻ることに決めました
そして現実的な視点を重視しその角度から必要なことを思考しつつ生活を送り続けました
あたりまえですが現実的な実際の生活はとてもよく周りが見えて聞こえて楽しいものでした!
現実的に入ってくるものには感動することや「ありがたい」という感謝の気持ちがたくさんありました!
そうしながらあたりまえの現実的な生活を送ることにより自分以外のいろんな社会的なことや世の中の流れ
に目が向き関心が起こり興味を必要であるなら持ち注目する楽しみが出来ました!
はっきりいって視野が何十倍にも広がりましたしいろんなところへ目が自然と向くようになりました
そしてさまざまな「聞く」ということに関して耳が広がりました!
こちこちだった頭もいろんなことを受け入れるほどに柔軟に以前よりはなれたと思います
それに従い嬉しいことにこころが「ここにある」と感じられまた自然と開き始めました!
もう、いいことずくめでした
五感を通して「感じる」ことの楽しさと爽快さと軽さったら言葉ではあらわしづらいですね!!
霊的なスピリチュアルな繋がりよりも五感とその向こうの第六感で感じるもの
人間に本来備わっている「本能」を信じることと(本能は嘘はつきません!)
「直感」で直接感じたものをただ信じること!それも「自分」について信じることの大切さ!
「潜在意識」から来ると思われるものに興味を積極的に持ちそこからいろんなことを感じて浮かぶものや
イメージ(繰り返し)するものを「それが自分にとって良いもの」であると少しでも感じたら
それを色眼鏡ナシで!ただうつった「そのもの」を「そのまま見る」そして漠然と信じて見る
信じて見るとその信じるという想念(良いもの)やエネルギーやがて大きく膨らみ具体化したり「行動」に繋がったり・・・・その状態を私は「願望実現」であるとみなしております
そうなると・・・・
霊的な精神的なことよりも・・・実際に呼吸をして生きている人間そのものに目がいき興味を示すようになりました
これは本当に意識は全くしておらずまたそのように気持ちを持っていったこともないのです!
そして更にその人間のこころに「すべて」があるのではないかと考えるようになりました
そこからよくいわれる「ボディー・マインド・スピリット」の3つが存在してひとであることとそのバランスを
いかにとるかが「生きる」ということなのではないかと思うようになりました
何でかは自分でもはて?なのですが自然とこの方向へ行きました
そこから更に「いのち」の大切さと重さと価値、存在する権利の平等性
「ひととして生きる、生かされる」ことに意味があることとその重要性
「ひとりひとりの生き方」の多様性と方向性
「人の一生とは己で責任を持ち、己で決め、選び、行動するもの」
「人生はどのようにでも描けるし、つくることができる」
「ひとはこころで感じ、見て、読み、理解することにより自身の真の答えを見つけることが出来る」
以上のようなことが次々と入ってきてじっくりと感じ(ひとつひとつ)「そういうものである」とわかることができました
これは私にとって真の意味で非常に大きな「転換」でした!
そして「いまの私」でいられるわけです(笑)
だからといって霊的なものや精神世界、スピリチュアルなことを否定するわけではございません!
実際に存在することばかりであると思います
ただ、「スピリチュアル」というものが私の中ではもっととっきやすい何か本来はもっとわかりやすい
単純なもの・・何かではなかろうかと考えるようになってきています
そのひとつが「日本」の国そのものです!
日本には実に八百万(やおよろず)の神々様方がおられます
日本各地あちらこちらに神様はおられます
神社はどこにでも存在しております
日本の神様は外国の他の神様や仏様、聖者の方たちとは全く異なった存在であると強く感じます
日本にはこういった神様方のお話・・「日本神話」がいくつもどこにでも存在してあります
実に色んな役割を持たれた神々様がたくさんおられます
これは世界中見渡してもなかなか見つからないとも思います
その神様を実にさまざまなかたちで崇め、祭り、感謝を祈りを捧げて来た
「信仰」と呼ばれるもの
特に「祈り」は日本各地の神社で日常的に大昔から存続し普通に行われていることです
手を合わせ何かについて感謝をし「祈る」という行いは独特であり日本を象徴するものであると思います
私は日本の神様のエネルギーの波動はとてつもなく高く強く清らかであるとはっきりいえます
そして信仰に限らず日本独特のものが日本ならではのものがたくさんあります!
それはもちろん「よき物、美しきもの」ばかりです!
たとえば・・・あいさつや感謝、お詫びなどの「礼儀」です
これをされて不快な気持ちにはまずなりませんよね?
特にあいさつや感謝はされていて気持ちが良く嬉しいものです!そして清々しいスカッとした気持ちにもなり
心地良いものです!それもいったほうも言われたほうも、双方お互いにそのような良い気分になるのです!
もちろんあいさつや感謝や心からのお詫びはすべて良き言霊です!その言霊から実に良い高い波動のエネルギーがたちまち生まれます!
あまり長くなるのでこれ以上は本日は書きませんが・・・・
一例を上げてあいさつなどの礼儀礼節を出しましたがこれ以外にも日本には実にさまざまな多くの
良きものや美しい文化言葉が存在しております
かなり前にブログでも書いた記憶があるのですが日本ほどこのような良き、美しきものが多く存在する国はなかなかないかと思うのです・・・・・
日本独特のものです!
これは実に貴重なものではないかと思いますね!
しれも現代的なことではなくてむしろ大昔からずっと存在し人々・・日本人によって伝えられてきた行われてきた
「日本独自のもの」です!
今、世界はいろんな分野でこの日本の良きものに興味を持たれ、注目し始めているのでは・・・という
動きを感じます
何をいいたいかと申しますと・・・・
これらのことはすべて「スピリチュアル」なことではないかと思うのです
よくいわれる一般の「スピリチュアル」などではなくて日本独自のこの国が出来てから日本人が存在し始めてからの・・・・生きるために生活を送るために自然となされてきたに過ぎないこと「繰り返し」なのではないかと
つまり日本固有の日本独特の「スピリチュアルなこと」です
それはあいさつをするとか・・・感謝をするとか・・ひとを敬うとか・・・助け合うとか・・・話をするとかみんなで踊りを踊るとかみんなで協力してひとつのことを成すとか・・・そういうごく一般のことだと思うのです
それらはひととしてお互い生活し生きるために必要ななくてはならないものです
もっと突っ込んで申し上げますと・・・
ひととひととの繋がりを生むためのものです
ひとはひとりでは生きていけないという事実に大昔から直面しての経験に基づくことなのではと・・・
ひととひととの繋がりはどんどん意識すれば広がっていきます
その広がりは「輪」となります
そしてその「輪」からはある共通するこころが生まれます
それは「和」のこころです
「和ごころ」は実に居心地良く良い気分にしてくれるものです!
はい
それこそが日本独自の
天然の日本生まれの美しきものなのです!
最初は全然違う内容のものを書く予定だったのですが・・・
いつもながら全く違う内容のものに相成りました(笑)
実は昨夜生駒山よりお聞きしたお声は何かを書くようにとのことでした・・・・
なんとなく「じゃあ」という軽い感じで「書こうか~~」という感じだったのですが・・
ただ私自身は何かネタもなく「これを書こう」という意気込みもありませんでした・・・・
「書くように」の内容というか・・・いったい何を書けばよいやら実のところ思案しておったのです
すると・・「席に着けばわかる」とおっしゃったのです
パソコンの前に座れば何を書くのかがわかるというのです・・・
でよくわからずとりあえず暇でしたので座って見ました(笑)
すると・・・・書き出すといつの間にかどんどん方向が進みこのような内容に・・・・
毎回本当にこの現象は不思議でなりません(汗)
でもいったん書き出すと何時間も進み・・・キリというかオチをなかなかつけられませんのです(笑)
本当に不思議なのですが頭で考えなくっても次々と書きながら先の内容や文章・・・言葉や表現に至るまで
どんどん入って来るのです!
そしてその入ってきたものをただそのままさ~~~~~~~っとひたすら書き綴っておるだけなのです!
う~~~ん不思議です・・こればかりは
前回の記事は書き終えた後一気にどど~~~~と倒れこむほど疲れが一気に来て眉間が重くぐ~~~っと
中から外から押されているような感覚が後日続き頭が響き・・かなりのものを(書く内容や文章)受け取ったため
それを表現するのにエネルギーをかなり使い果たしました
本日は確かにいつものようにそのままひたすら書いただけですが・・・・時間も同じくらい要したのですが・・・
なんででしょう?そんなには疲れませんでした
私は大丈夫です!
「来るもの」によって毎回エネルギーや波動が微妙に違うのでそのたびに自分の「超敏感体質」を思い知らされますが・・・ははは(笑)
この新年最初の月(1月)は身体に現れるエネルギーによる「浄化」がけっこう多く起こりキツかったです・・
眉間を中心とした前頭葉が重く固定されているようで・・・・・熱を持ち痛かったです・・・
首や肩もこり、痛みもあり辛かったですね・・・
ああ・・その間にいつの間にか42歳になっておりました~~
またしても自分の誕生日をすっかり忘れておりました・・・(汗)
この続き(?)は後日また更新させていただきます
では、本日もこちらへとお越しくださり、長い文章を最後まで御熱心に読んでいただきまして
本当にありがとうございます!心よりの感謝を申し上げます
さとうちえ