娘は成人しています。
そんな成人女性でも子供は子供。お腹いっぱい何か食べさせたいし、パンも美味しいやつ食べさせたいからアンデルセンとか神戸屋とかでセッセと買って帰る私。
猫とホットカーペットでグーグー寝ていたりするのを見て和む。毛布をかけて横でゲームする。シミジミ幸せだなって思う。娘も元気で、自分も生きてて犬猫もいて、家は快適でお腹は満たされている。
それでハッとした。
前にも書いたけど、心理的なものを掘り下げていくと必ず親にたどり着く訳です。
シータの先生にセッションしてもらった時に、全然関係ない質問からどんどん深くまで降りていって、自分のままじゃ親に好かれない、ちゃんと真っ当な人間にならないとダメと思っていた、と泣いた。泣きたくないのに涙が出て止まらなかった。
あれ?こんなに私、傷ついてたんだ、あんな人大嫌いだから関わりたくないなんて言ってるのに。嫌いだ、嫌いだ、いなければ良いと思ってた裏側にいたのは寂しい子供のままの私だった。仕事でいっぱいいっぱいの親に冷たくされて、おばあちゃんにべったりだった小さい頃の私。
何回もインナーチャイルドを癒すワークをしたり、クリアリングしてやっと今この段階。まだまだちゃんと向き合えているとは言えない。本当は母に直接、私は寂しかったんだと言うのがいいんだろう。まだ言えないけど(生きてるうちに言えるのかが問題)。
そして先生と今後の親との関わり方を話していた時に、ちょくちょく短い電話をするという提案があった。でもまだそれは自信がなくて(今でもそうだ)難しいかも、と言った。多分心の奥底で、電話していて母の思い通りに話が進まなかった時、話の途中で急にガチャン!!!と切られた痛みや、言葉に詰まった時に「何にもしゃべんねわ!!!」とガチャン!!!と切られたことがフラッシュバックするようで怖いのだ。
ここまで書いてて気がついたけど、何回ガチャ切りされてるんだろう(笑)毎回だったのか?
それで、直接関わるのはまだ怖いのでモノを送りつける作戦で親孝行しているつもりになっていた。Amazonでアサヒスーパードライのケースを送ったり、季節のくだものを産地から送ったり、バッグとかを送りつけたりしていた。まるで祟り神に捧げる供物のように。
でも違うんだ。
私は娘がいるだけでこんなに幸せ。本来は親ってそういうものじゃないのかな?それが20歳になろうが40歳になろうが、本当はそうなんじゃないかな?
私も本当は存在しているだけで親孝行なんじゃないのかな?
そっか、私はいるだけでいいんだ。存在自体が親孝行なんだ。
過去の出来事から、そもそも存在を許可しきれていなかった?だから苦しかったんだろう。確かに数年前まで、働かないと存在価値が無いとか、稼ぐ金額イコール価値とか思っていたな。
でも今は思う。私は存在だけで価値がある。だって私はエネルギーソースの一部だからね。みんな一人一人がそうなんだなって。
最近やっていなかったけど、またインナーチャイルドのセルフヒーリング、やろうっと。前は全然進まなかったけど、少しは癒されるかもしれないな。