2032年、「立春」も通りこし快速急行である。
これを読んでいるみなさんも、
いよいよ今年、さまざまな人たちと
コミニケーションするであろう。
誰と何をコミニケーションしたいのか、
日頃のチャンスがやってくる。
ひらめき、胸やお腹に耳をすませる。
運命の提案は来てくれる。
応えにくい提案もたまにはある。
Siriの提案ではなく、
母の提案である。
母「ここ手が届かないから拭いてくれる?」
こういう、できるサポートなら喜んでやりたいものである。
母「ペットボトルの水を買ってきてくれる?」
私「お水、ご用意しましたよ」
母「このメーカーじゃないのにしてくれる?」
私「はっはっは。軟水、フツーのミネラルウォーターですよ」
明くる日。
母「ペットボトルが柔らかすぎてペコペコするのよ。他のにしてくれる?」
私「そうだね、ペットボトルいろいろ使うんだよね。
強固なペットボトル、準備しますよ」
明くる日。
母「この水じゃないのにしてくれる?」
私「母よ、いったいどうした?」
母「このパッケージが何か苦手で……」
私「そうだね」
母よ、もう会話の意味なんかどうでもいい。
君が元気ならそれでいいよ。
はっはっは!!
***
思えば、私は上にお姉ちゃんが二人いるため
女性たちのお話会の中で育ったといっても過言ではない。
おしなべてどの世界でも女性が長生きなのは
「話す」という究極の健康療法の恩寵ではないだろうか。
自分の声は自分を癒す効果があるのだろう。
おしゃべりな人は元気だ。
キャッキャっと楽しそうならば
対面でも、電話でも、オンラインでも
「場」そのものが活性化している感じがする。
そう言えば、すべての
おばあちゃんも
お母さんも
お姉さまも
お嬢ちゃんも
つまり歴代の女神たちは
お喋りが大好きな賑やかな人たちが多かった。
自分が話しまくってる振動で元気になるのである。
あらゆるものは振動しているのだから、
あなたの声は、
あなた自身のすべてを大きく癒やす。
キャーキャーと輝くような
おしゃべりは永遠に続いてほしい。
***
いろいろなお母さんがいた。
表現は人それぞれで
その根底にある優しさを私は
受け取れたときもあれば、
受け取れなかったときもあった。
時を経てふりかえってみると
親類、ご近所、ママ友、
おにぎりを作ってくれたことを思い出す。
まことに感謝である。
おにぎりは母なる大地、地球のやさしさである。
いちおう男性であるという私の設定上、
何をどう解釈しようと、
私は幸せな男のコなのかもしれない。
ありがとう。お母さん。
もー、100万回言いますよ。
ありがとう。お母さん。