死とはなんだろう。
人は必ず死ぬ。
死ってなに??
うごかなくて、話ができなくて、冷たくて、こわい。
どこにいったの?
大正解の答えは、ちょっと置いといて、
死って何かなって考えると、
本当にむずかしい。
今週、私は直接かかわったことはないが、
37さいで末期がんと闘ったある先生が召された。
音楽療法の授業では、まさに、ホスピスの話。
どのように見送るか。
自分はどのように見送られたいか。。。
そんなことを考えるレポート課題が出された。
今朝の早天は、目に見えないもの、について。
私たちは、見えるものにではなく、
見えないものにこそ目を留めます。
見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。
私たちの住まいである地上の幕屋がこわれても、
神の下さる建物があることを、私たちは知っています。
それは、人の手によらない、天にある永遠の家です。
目に見えないものはいつまでも続く
見えるものは一時的
死って何か、考えてみる。
でも、目に見えている大事なものが急になくなったら
本当に悲しくて、びっくりして、わけがわからなくなる。
2歳ぐらいの子は、目の前に見えなくなったものは、
この世から消えたんだろう、ってぐらいの反応を示す。
見えなくなったものは、もう存在しない、そう思い込んで泣く。
たとえば、その子の大事なおもちゃを、布で隠してみたり、
背後に隠してみたり、
手の中に隠してみたり、
そうすると、その子は、泣く。
なくなってしまった。
存在しなくなってしまった、って。
探すことをせず、
自分の大事なものが消えた衝撃と悲しみで打ちひしがれて泣く。
そんな感じなのかな。
神さまから見たら。
見送った人にしてみたら、
大事な人が急に、目の前にいるのに、いない状態になって、
ショックと、悲しみと、さみしさと、もう交流のできない悔しさと、
いろんな思いが絡まって、わけがわからない。
私の大事な人はどこにいってしまったんだろう、って。
消えてしまった?
どこを探せばもどってくる?
探しても、もう、もどらない。
それを知ってまた悲しい。
そうやって、もがくけど、
神さまから見たら、ちがうんだ。
続いている確かなものがあるんだよって。
永遠があるんだよって、子どもを見守るお母さんみたいに、
おもちゃは見えなくなっただけで、ほら、ここにある。
大事なものはここにあるよ。
そういうことなのかもしれない。
ぐちゃぐちゃな文章ですみません。
今の私の頭がぐちゃぐちゃなのです。。。