香港から世界のChina townへ(浄土真宗親鸞会講師の記録)-s1
香港MTRの調景嶺駅から香港駅(セントラル)に移動、エアポート

エクスプレスに乗って、空港に向かいました。所用時間は、セントラル

までが約30分、セントラルから空港までが25分ほどです。

交通費は、合計1100円ほどでした。

シンガポールは、漢字で、新加坡と書きます。

その下の馬尼拉は、マニラ。

多倫多は?

カナダのトロントです。

SQは、シンガポール航空ですが、859便は、10時30分発でした。


香港から世界のChina townへ(浄土真宗親鸞会講師の記録)-s2

午後2時過ぎ、シンガポールに到着。

飛行時間は、4時間弱。名古屋から香港までが4時間余り

ですから、少し近いですが、香港は、東南アジアと日本の

ほぼ中間地点と言えます。


久しぶりに、香港へ来ました。

光寿中心有限公司は、1997年(平成9年)香港に、親鸞聖人の教えを、

伝えるべく、設立された、香港法人です。

名前の由来は、光明無量、寿命無量の阿弥陀仏の本願を、アジア全土

伝えよと、高森先生が、命名下さったものです。

現在は、香港のMTR(地下鉄)の調景嶺駅の真上の城中駅という高層

マンションの12階にあります。

香港から世界のChina townへ(浄土真宗親鸞会講師の記録)-調1

香港から世界のChina townへ(浄土真宗親鸞会講師の記録)-超  
12階の光寿中心の事務所です。
 香港から世界のChina townへ(浄土真宗親鸞会講師の記録)-リバーサイド2

6月25日夕方、マレーシアの首都、クアラルンプールから

飛行機で約1時間半で、東マレーシア・ボルネオ島の

クチン国際空港に到着しました。

街の中心部を流れるサラワク河のほとりです。


出迎えてくれたのは、今年2月から3月にかけて、

東京の大学病院に研修に来ていた医学生、何さんの

お父さんでした。この方とは、13年前、香港にいた私が

マレーシア華僑の要請を受け、その方の故郷である

クチン市の寺で、5日間の法話をした時、知り合い

ました。

その翌年には、別の寺で、3日連続の法話の時も、

すべて参詣したのが何さん夫妻でした。

その時、今回、日本に来て、二千畳(親鸞会正本堂)に

参詣した娘さんは、10才の小学生でした。

面影はありましたが、すっかり成長し、地元の国立大

医学部に合格し、現在4年生で、日本に研修に来ていた

のでした。


ところが、その来日中の3月11日午後、東日本大震災が

起きたのです。

東京駅丸の内のオアゾ5階のレストランで、彼女の友人の

医学生2人と、私の法友と合計6人で、遅い食事を終え、

そろそろ解散しようとしていたその時、大きな揺れが

始まったのでした。「大丈夫だよ、すぐにおさまるから」と

何さんに言いながら、一向に揺れがおさまらないどころか

一層激しくなり、このビルは折れるのでは?と思ったほど

でした。

その後、すべての電車が止まり、田端に宿舎があった

彼女たちは、どう帰ったらよいか途方に暮れていました。

このまま何も分からない、異国の若者たちを放置すること

はできず、法友の会社がある東京駅近くのビルに一時

避難したのでした。

その時も、東京駅周辺のビルが、余震で揺れ続けており、

肝を冷やしました。

さて、どう帰るか、情報は錯綜し、余震は続き、その日は、

女性の法友が、彼女たちを自宅に泊めてくれ、翌日、田端

まで送ってくれたのでした。


その後、予定を早く切り上げ、日本を離れ、無事、何さんは

帰国したのでした。御両親は、今回、

「娘を助けてくれ、マレーシアの3人を守ってくれ、本当に

有難うございました!もし、あなたと一緒にいなかったら

何も分からない日本でどうなっていたか分かりません」

と何度もお礼を言われました。

私たちと一緒であったことが、不幸中の幸いでした。


帰国した何さん、聞法心に火が付き、何としても高森先生の

ご法話をライブで、テレビ座談会で聞かせて頂きたいと、

自ら申し出て、これまで日曜は、ほぼすべて聴聞して


おられます。


香港から世界のChina townへ(浄土真宗親鸞会講師の記録)-何さん招待

右端が、医学生の何さん(22才女性)、左側の3人が

彼女の御両親と弟さんです。

マレーシア華僑は、御縁の深い方々が、まだまだおられ

ますので、この後も紹介してゆきます。('-^*)/