善導大師が30余年、ご活躍された唐の都、長安は、
現在の中国西北部の大都市、西安であります。
写真は、唐の都、長安(現在の西安市)の城壁の内側
から見た南門です。
(内側から見た西安市南門)
大師がおられた当時、すでに人口100万を越えて
いたとのことですが、現在は城内外で約800万人と
言われます。
1999年に行った時、夜、ライトアップされていました。
中国では、街のことを城市(city)といいます。
中国の大都市は昔はすべて、四方を城壁に囲まれて
いたのですが、交通の妨げにもなる為、現在は西安以外
で、四方欠けることなく完全に城壁が残っている街は
ありません。
城壁は高さ12メートル、幅も12~14メートルあり、
車も通れる程の広さで、周囲の全長は13、7キロ。
その為、長安ならば、長安城と言われますが、城壁の
内側を城内、その外を城外と言われます。
ですから、日本の城のような小さなものを想像すると全く
規模が違うのです。
昔のインドも同じであり、お釈迦様の四門出遊も、それ
まで、狭い城の中から一歩も出られたことがなかった
ようなイメージがありますが、そうではなく、城は街で
あり、その街からそれまで出られたことがなかったと
いうことなのです。
日本のイメージでいえば、城下町全体を、「城」と言われ、
長安城内、すなわち西安市の城壁の内側には、現在なら
約350万人が住んでいるのです。
(外側から見た西安市南門:1999年チャイナタウン撮影)
東西南北に門がありますが、その中で西門が
シルクロードの出発点であり、現在も西門には
当時の様子が、巨大な石像で残されています。
現在の中国西北部の大都市、西安であります。
写真は、唐の都、長安(現在の西安市)の城壁の内側
から見た南門です。
(内側から見た西安市南門)
大師がおられた当時、すでに人口100万を越えて
いたとのことですが、現在は城内外で約800万人と
言われます。
1999年に行った時、夜、ライトアップされていました。
中国では、街のことを城市(city)といいます。
中国の大都市は昔はすべて、四方を城壁に囲まれて
いたのですが、交通の妨げにもなる為、現在は西安以外
で、四方欠けることなく完全に城壁が残っている街は
ありません。
城壁は高さ12メートル、幅も12~14メートルあり、
車も通れる程の広さで、周囲の全長は13、7キロ。
その為、長安ならば、長安城と言われますが、城壁の
内側を城内、その外を城外と言われます。
ですから、日本の城のような小さなものを想像すると全く
規模が違うのです。
昔のインドも同じであり、お釈迦様の四門出遊も、それ
まで、狭い城の中から一歩も出られたことがなかった
ようなイメージがありますが、そうではなく、城は街で
あり、その街からそれまで出られたことがなかったと
いうことなのです。
日本のイメージでいえば、城下町全体を、「城」と言われ、
長安城内、すなわち西安市の城壁の内側には、現在なら
約350万人が住んでいるのです。
(外側から見た西安市南門:1999年チャイナタウン撮影)
東西南北に門がありますが、その中で西門が
シルクロードの出発点であり、現在も西門には
当時の様子が、巨大な石像で残されています。