少し歴史の話をしたいと思います。

香港もシンガポールも、日本人の海外旅行の人気スポットですが

先の大戦で、日本がここで何をやってきたか知っておかないと、

現地の人達の本当の気持ちは分かりません
ので、ちょっとお話し

したいと思います。



香港から世界のチャイナタウンへ(浄土真宗親鸞会講師の記録)-ペニンシュラ

香港ペニンシュラホテルです。

第二次大戦中、1941年12月に香港を占領した日本軍の

軍政庁が置かれ、「東亜ホテル」と改名された歴史もあり

ます。九龍側の最南端にあるこのホテルを知らない香港人

はありません。

観光客にも、大人気の、豪華な
アフタヌーンティー等で有名

なホテルに、こんな
歴史があったことは、殆どの日本人は

知らないと
思います。

香港には、「3年8ヶ月」という、誰でも知っている、フレーズと

いうか”言葉”がありますが、これは日本がイギリスを破り、

香港を占領した年月を言うのです。(41年12月~45年8月)

親を日本軍に殺された人が今でも生きておられ、8月15日

の戦勝記念日には、お年寄りがテレビに出て、当時の様子

を語るのが、毎年のことになっています。


シンガポールのことは、これまで書いていませんが、

実は、その3ヶ月後の1942年2月に、日本軍がシンガポールに

いたイギリス軍を撃破しました。

歴史に名高いシンガポール陥落です。

それから間もなく、多くの華僑が犠牲になっています。

人数には諸説がありますが、現地の人は3万~5万人と言います。

2回目にシンガポールに行った時、空港からタクシーに乗りました

が私が日本人だと言うと、タクシーの運転手は「あんたのところの

閣僚は、第二次大戦は、侵略戦争でなかったとこの前も言って

いたが、シンガポールで沢山の人が殺されたことを、日本人は

知っているのか?」と聞いてきました。

私はシンガポール陥落は知っていましたが、そんなに多くの人が

犠牲になったことは、知りませんでした。

南京大虐殺と同じで捏造だ!という人があるかも知れませんが

歴史上の事実です。なぜなら、シンガポール陥落のその場に

おられ、今でもお元気な学徒から、直接聞いたからです。

その方に、シンガポールのことを、恐る恐る聞くと、

「そりゃ、やりましたよ。」と正直に言われ、続けて、

「華僑は、誰が味方か、イギリス軍のスパイか分からないから

やらざるを得なかったのです、、、」と言われました。

戦争はいやですし、命の尊さを教える仏教の教えからも、

お互い、絶対に同じ過ちを犯してはならないと思うのです。



香港から世界のチャイナタウンへ(浄土真宗親鸞会講師の記録)-香港夜景


ペニンシュラホテル側(中国大陸側)から見た、

香港島セントラルの夜景です。

(写真は共に、山本哲志氏提供)