<1997年12月8日>
10月19日、一人も御縁のなかった香港に、単身乗り込み、丁度
開始40日目の11月末、報恩講に来日する人が5名、現れました。
もちろん、全員、日本語の分からない人達です。
今だから言えますが、最後の最後まで、ドラマがありました(;^_^A
5人の中の一番若い人(28才女性)は、わずか1ヶ月前の
10月20日頃、本願念仏会のメンバーになった人で、英語、北京語、
広東語ができる人でした。
私の訪港と同じくして、縁があった不思議な人でした。
ところが、以前、日本に2ヶ月程滞在したことがあり、今回、ビザを
申請しても不法就労の目的では?と疑われ、領事館が発給してくれ
ないと、本人から私に電話がありました。
出発1日前のことでした。
これは大変なことになった、今日、ビザが取れなかったら、明日の
の航空券は変更のきかないチケットなので、このままでは報恩講に
御縁がなくなるし、5万円程が、丸々無駄になってしまう、どうするか。
よし、私が香港総領事館に乗り込むしかないと、窓口につめより
ましたが領事館の香港人職員は、「だめだめだめ」と門前払いの
仕草でした。そこで、日本人の領事を呼んで!と粘ると、一人の40前
の日本人領事が対応してくれました。彼に、力一杯訴えました。
「この人は、3日後にある親鸞聖人の報恩講に行く人です。私がちゃん
と責任を持って、連れて帰りますからビザを頼みます!」と言うと、
「分かりました。報恩講ですか。明日までに確認し、何とかしましょう。」
と言うのです。ところが明日では、手遅れなのです。
「明日の昼の飛行機なので、明日では遅いのです!今日でないと
間に合わないのです!」
と更に懇願すると、その慈鎮和尚のような領事は、あんたには負けた
という顔で、「分かりました。今、発給しましょう。」と言ってくれたの
でした。普通、こういうことはあり得ないのですが、これも無上仏の
御念力と感謝せずにおれませんでした。
★本願成就文
5名は、翌週の新潟まで参詣されたのでした。
平成9年12月7日の新潟御法話の演題は「阿弥陀仏の本願」
でしたが、内容は「本願成就文」でした。
これは、報恩講の後、ご相談し、香港から御縁のあった
「臨終来迎の中国浄土宗の教えを信じている人達にどう話し
たらいいでしょうか?」とお伺いしたところ、
「今度、新潟で話すから」と仰有って、お話し下された御法話
だったのです。この時の正客は、新潟の皆さんはもちろんです
が香港の私たちであったと今でも思っています。
10月19日、一人も御縁のなかった香港に、単身乗り込み、丁度
開始40日目の11月末、報恩講に来日する人が5名、現れました。
もちろん、全員、日本語の分からない人達です。
今だから言えますが、最後の最後まで、ドラマがありました(;^_^A
5人の中の一番若い人(28才女性)は、わずか1ヶ月前の
10月20日頃、本願念仏会のメンバーになった人で、英語、北京語、
広東語ができる人でした。
私の訪港と同じくして、縁があった不思議な人でした。
ところが、以前、日本に2ヶ月程滞在したことがあり、今回、ビザを
申請しても不法就労の目的では?と疑われ、領事館が発給してくれ
ないと、本人から私に電話がありました。
出発1日前のことでした。
これは大変なことになった、今日、ビザが取れなかったら、明日の
の航空券は変更のきかないチケットなので、このままでは報恩講に
御縁がなくなるし、5万円程が、丸々無駄になってしまう、どうするか。
よし、私が香港総領事館に乗り込むしかないと、窓口につめより
ましたが領事館の香港人職員は、「だめだめだめ」と門前払いの
仕草でした。そこで、日本人の領事を呼んで!と粘ると、一人の40前
の日本人領事が対応してくれました。彼に、力一杯訴えました。
「この人は、3日後にある親鸞聖人の報恩講に行く人です。私がちゃん
と責任を持って、連れて帰りますからビザを頼みます!」と言うと、
「分かりました。報恩講ですか。明日までに確認し、何とかしましょう。」
と言うのです。ところが明日では、手遅れなのです。
「明日の昼の飛行機なので、明日では遅いのです!今日でないと
間に合わないのです!」
と更に懇願すると、その慈鎮和尚のような領事は、あんたには負けた
という顔で、「分かりました。今、発給しましょう。」と言ってくれたの
でした。普通、こういうことはあり得ないのですが、これも無上仏の
御念力と感謝せずにおれませんでした。
★本願成就文
5名は、翌週の新潟まで参詣されたのでした。
平成9年12月7日の新潟御法話の演題は「阿弥陀仏の本願」
でしたが、内容は「本願成就文」でした。
これは、報恩講の後、ご相談し、香港から御縁のあった
「臨終来迎の中国浄土宗の教えを信じている人達にどう話し
たらいいでしょうか?」とお伺いしたところ、
「今度、新潟で話すから」と仰有って、お話し下された御法話
だったのです。この時の正客は、新潟の皆さんはもちろんです
が香港の私たちであったと今でも思っています。