2012年2月21日
「理念と経営」という雑誌がある。
この中の記事の中に【赤心を推して人の腹中に置く】という言葉があった。
気になったので調べてみた。
【赤心を推して人の腹中に置く】
(「赤心」はまごころ)自分がまごころをもっていることから推察して、他人もまたまごころをもっているとして、他人を疑わない。人を信ずることがあつく、全面的に信頼することをいう。
『後漢書・光武紀上』《成語林》
まごころを以て人に接し、少しもへだてをおかないこと。
また、人を信じて疑わないこと。
《広辞苑・第五版》
人の考えや行動を推し量ろうとするとき、それを測る物差しとなるのは自分の考えや行動ではないでしょうか。
客観的な判断をなどと言いますが、そうは言っても判断するのが人間である以上、何処かに好悪の感情が交じったり、利害を考えて真に客観的な判断など出来るものではないのかもしれません。
ただ自分が曲がった見方で相手側を評価したとすれば、相手側もまた同様に曲がった評価を返してくるのでしょう。
自分が曲がった見方をしておいて、相手にだけ真っ直ぐな評価を期待するのは虫がよすぎます。
さて、今日取り上げた言葉は、後漢を開いた光武帝の人となりを表した言葉です。光武帝は王莽の簒奪によって潰えた漢王朝を復活させることを旗印に戦い、後漢を起こした英雄ですが、他の英雄たちのような「型破り」なところがありません。見方によっては面白味が無い人物かもしれません。
そのためでしょうか、中国の長い歴史のなかでも屈指の名君なのに、日本ではあまり人気の無い人物です。
さて、この人の人となりを表す言葉といえば今日取り上げた
「赤心(せきしん)を推して人の腹中(ふくちゅう)に置く」
です。辞書の説明のとおり、自分真心が相手にも同様にあると信じて疑わないということです。ある戦い
で自軍の数をも上回る大軍が投降して来たことがありました。
投降してきたとはいえ、大軍。自分たちの処遇に不満があれば再び反旗を翻す可能性も高い危険な存在です。中国の歴史を見ると投降した軍の危険性を考えて皆殺しにしてしまった例が幾度もあるほどです。
そのときは何せ、投降してきた方が自分たちの軍隊より多いほどでしたから危険性は計り知れません。
さてどう扱ったものかと将軍たちは頭を悩ませているうちに、なんと総大将である光武帝が自らわずかな供を従えただけで、投降軍の視察に出かけてしまいました。これには部下の将軍たちがびっくりして止めようとしましたが時すでに遅し。将軍たちの心配をよそに、光武帝は投降軍の中に入って行き、そして何事もなく戻ってきました。
心配していた将軍たちは安堵しましたがその一方ではあることに驚きました。
それはたった一度視察を受けただけで投降軍の将兵がすっかり光武帝に心服してしまっていたことです。
投降はしたものの、どんな扱いを受けるかと戦々兢々とした人たちは、自分たちの「降伏する」という言葉を疑わず、自分たちの真心を信じて自ら迎え入れてくれた光武帝の姿を目にして、疑心を抱いた自分たちを恥じました。
そして自分たちを本当に信じてくれたこの人のために、これからは命を投げ出す覚悟で働こうと誓い合っていたのです。
この逸話に見える光武帝の行動は、軽率で危険なものに映ります。無謀です。
ですが、その無謀さはただの世間知らずの無謀とは違います。幾多の戦いを潜り抜けてきた光武帝があえて選んだ「無謀」です。
相手を信じぬこうと決めた光武帝の無謀さは、最良の謀をさえ超えた結果を生み出しました。
あなたのためを思って、一所懸命にやっているのになぜ通じないんだ
そう思い腹の立つときは多々あります。そんなときには、今日の言葉を思い出して、もう一度だけ踏みとどまって見ませんか。
オリジナル記事:日刊☆こよみのページ 2008/07/28 号
「項羽と劉邦」では、降伏した敵軍を生き埋めにした項羽とそれを生かした劉邦の行為が対照的で、最後には劉邦が勝ちを納めた。
人を信じることの大切さを学ぶことわざである。