本日1/23ですね。

123で、「ひふみ」の日。

 

「ひふみ」は、日本古来の数の数え方。

 

ひぃ ふぅ みぃ よぉ いつ むぅ なな やぁ ここのつ とお

 

ひとつ ふたつ みっつ よっつ いつつ むっつ ななつ やっつ ここのつ とお

 

和語の響きは、今の世でも、なにか不思議な感覚を呼び起こします。

 

すぐに思いつく上の数え方とは別に、

古神道に奥儀祝詞として伝えられる「ひふみ天地(あめつち)の数歌」というのが

あるそうです。

 

読み方にはいくつかあるようですが、調べたところによると

 

ひと ふた み よ いつ むゆ なな やつ ここ(の) たり

 

または、

 

ひと ふた みい よを いつ むゆ なな やあ こと たり

 

これまでに出てきた読みと大きく違ってみえるのは、6を「むゆ」と言うところかな。

 

神に捧げる言葉を集めた、あまたある「祝詞」の、そのまた「奥儀」ですよ、「奥儀」!

それだけ重要で、大切に伝えられてきたものの中に「数の数え方」があるって

どう思います???

「数の数え方」が何故そんなに重要なのでしょうか??

 

あまりにも当たり前に目の前にあって、考えたこともなかったけど

そういえば不思議です。

 

数字はどうしてあるんでしょう?

数を数えるためだけ?

無限に数えられるのに、どうして数字は0と、1から9までの限られた種類しかないのでしょう?

 

 

他にも、「ひふみ」と言えば思いつくところだけで

 

「ひふみ祝詞」

「十種神宝祓詞(とくさのかんだからはらえことば)」

「ひふみ神示」

 

などなど。

読み方は少しずつ異なるものの、数の数え方が重要なものとして

何度も出てきます。

 

聖書「ヨハネの福音書」が

 

1 はじめにことばがあった。ことばかみともにあった。ことばかみであった。

2 このことばはじめにかみともにあった。

3 すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった

 

上の文章から始まっているのはよく知られていますが、

それより遥か以前の古神道に、まず「数という言葉」があり、

それが今も奥儀祝詞として伝えられてきていることに

大きな意味を感じます。

 

この辺、「日本語とカタカムナ」をテーマにお話しようと思ってますので、

良かったら、今後の案内をご覧になってください(*^-^*)

カタカムナへの興味に繋がればと思います。

 

 

 

 

 

 

蛇足1.

「ひふみの日」にちなんで。

本当は、今日講座を開けたらよかったのだけど、今日の午後にようやくネット環境が

整ったので、また日を改めて。

ようやく不安定なネット環境脱出です(笑)

 

蛇足2.

某映画のせいで、奥儀の前につい「玖ノ型」を枕詞に付けたくなる今日この頃(笑)

九進法というところで、あながち間違いではないやも(笑)