カタカムナは、「上古代人の叡智」と言われている。

「叡智」とは、「優れた知恵」・「物事の本質を捉える認識能力」のことで、

すなわち、カタカムナは、

「縄文に生きた人々が物事の本質を捉えるために使っていた知恵」ということになる。

 

発見者の楢崎氏によれば、その叡智は「九つの法」を記しており、

製鉄・農法・医療・人の思考の在り方など、

哲学・医学・農学・物理学・・・等々、多岐に渡る分野に及び

今もなお研究が進められて、研究者によって様々な解釈が存在する。

 

そのすべてを、カタカムナ人が網羅していたとは考えにくいが、

数万年の平和を維持できていたということは、少なくとも「人の思考の在り方」

については世界の広い範囲で、大人から子供まで実践出来ていたのではないだろうか。

 

このように、「カタカムナ」は実にたくさんの「顔」を持っている。

その一面だけを切り取ってもカタカムナを定義することは出来ないし、

一面だけから、断定することも出来ない。

例えば、一人の人間を説明しようとした時、ただ一面だけを見ても、

その人のすべてを表現することが出来ないのと似ているかもしれない。

カタカムナという壮大な「叡智」の像を掴むには、それこそ多くの「目」が

必要になって来るはずである。

世界中に設置した望遠鏡を繋ぎ合わせて地球規模の「目」を作り、

やっとブラックホールの巨大な姿を観測できたように。

 

つづく