ウタヒが示しているものがなんであれ

、カタカムナが縄文人の高度な精神文明に多大な影響を与えていたとは考えられないか。

現人類が未だ成し得ていない「武器のない世界」「武器によって人が殺されることのない世界」を

数万年もの長きに渡って実現していた縄文時代なのだ。

その文明の喪失は、逆に言えば、人間の精神・魂の根底にあった「カタカムナ」が

失われた(或いは隠された)が故、と考えることは出来ないだろうか?

 

宇野多美恵氏の「感受出来るのは少数の人間だけだ」という一文には、

実は「現代においては」、という断りがあったやもしれぬ。

だが縄文時代においては、子供から大人まで、誰でもが自然に持っていたものであったからこそ、

その高度な精神文明を可能にしたのではないか。

今の私たちが難解だと感じるカタカムナを、真に理解し魂のレベルで染みつかせていたのではないか。

でなければ、数万年に渡る平和など到底続くはずもない。

 

これはカタカムナの重要な面の一つであると考える。

 

とはいえ。

これは一つの役割・側面であって、

「カタカムナとはなにか?」という明確な答えになっているとは言い難い。


つづく