久々に「カタカムナ練習帖」。

なんと前の記事から1年以上経っている。

なんてこった。

 

「カタカムナ練習帖」では、普段のブログの書き方とちょっと変わっている。

言葉遣いが違うけど、ここではその方が書きやすいので、ご理解いただきたい(笑)

 

今日のお題は「言靈師(コトダマシ)」。

 

せっかく名乗ったのだから、どんな思念があるか見てみよう。

 

と、いうか。

思念読みの前に、「ダマシ」が入っているから文字はともかく、そもそも音がアヤシイ。

なんだか、ものすごくイカガワシイ感じ。

口からペラペラとうまいことを言って人を騙しそうである。

近寄っちゃイケナイ気までする。

 

でも、待って。ちょっと聞いて。

ついつい「詐欺」を連想してしまうが、そうではない。

騙されたと思って、聞いて。←はい?

 

人から騙されるとお金を巻き上げられそうだが、しんどいときに自分で笑顔を作って脳を騙せばストレスを軽減する。

「ダマシ」という音に善悪はない。

エネルギーの流れがそこにあるだけである。

 

「言靈師(コトダマシ)16+17-26+6+23=36 セ:引き受ける 3+6=9 テ:発信・放射

 

思念:「転がり入り・出るものを統合し、(そこから)分れて、間(マ)・広がりを示す人」

数靈:「転がり入り・出るものを統合し、(そこから)分れて、間(マ)の示し(現象)を引き受ける人が発信・放射していくこと」

 

・・・・・はい、なんのこっちゃー。

 

そもそも、転がり入り・出るものとはなにか?ということになるのだが、これは「思い」のこと。

外から受けた刺激によって発生した思いが、ココロに転がり入る。

今度は、ココロから分かれて自分の思いが外へ転がり出ていく。

この二つが、ココロの中で瞬時に統合しては、(ココロと分かれた)現実世界へと広がっている。

 

間(マ)=6=受容する・需要するところがココロ。

ココロで起きている現象が言葉(言靈)になって、外の世界を創っているのだ。

 

 

つまり、言靈師とは、感じる思い・湧き出る思いを自分の中心にあるカタカムナの働きで統合して

言葉を紡ぎ、現実世界に現象を引き起こし、そこで起こるすべてを自分で引き受ける人のこと。

「自ら作り出した世界を、自らの責任ですべて引き受ける」と、思い定めること。

そして、言葉を発信し・放射していくこと。

 

いわゆる「現実化」「具現化」を引き起こしたかったら、それ相応に自分なりの覚悟が必要なんである。

 

「覚悟」なんて言うと、怖い。

命まで取られそう。

やっぱり聞かなかったことに・・・・・しないで。

いいから、騙されたと思って、聞いて。←はい?

 

「そんな難しいことしなくてもいいよー。もっと楽に生きようよー」という人は、

「楽に生きよう」とちゃんと自分で思い定めているのである。

そして、それを当たり前に引き受けているので、苦にならない。

むしろ、楽しい。

なんだかわからないけど、毎日にやにやするくらい楽しくなる。

 

 

 

「思い定める」というと堅苦しいが、要は自分で「ああしよう」「こうしよう」と決めるだけの事なのだ。

そして、決めたことを「やる」。

 

決める=51×2=102

思い定める=102=宇宙

ココロで決める108+身体で決める72=180=命そのもの

 

心で決め、身体を使って言靈に出すと、自分の命の振動が周りの世界を創っていくのだ。

 

今を生きるすべての人が「言靈師」である。

 

180は、きしくも吉野信子先生の「カタカムナ言靈伝道師」と同じ数靈。

同じ「音」、同じ「数」は、同じ「思念」・「振動数」を持つ。

「カタカムナ言靈伝道師」の意志を、「言靈師(36)」という「核(36)」が伝播している。