はい、やってきました週に一度のカタカムナ練習帖ー。
その7までやってきて、だいぶ慣れたのでは?
では先週の「瞑想」いってみよー。
ふむふむ。
「思考すると、伝わるものが外れて生れ出る」
ほほーお。
まあ、文章的にはこのままでも行けそうだけど、真ん中の「伝わるものが外れて」ってのが、どうにも分かりにくい。
こんな時はセオリー通り「言葉」に戻って考えてみよう。
「瞑想」とは、そもそもなんなのか?
瞑想とは、心を静めて神に祈ったり、何かに心を集中させること、心を静めて無心になること、
目を閉じて深く静かに思いをめぐらすことである。
なるほどねー。
確かに、すぐに思い浮かぶのはこう足を組んで、木の下に座って目を閉じている姿だ。
外界で何が起ころうとも動じず、悟りを開く修行者。
そういえば、手塚治のブッダもずいぶん苦労して目覚めてた氣がする。
あとはインドのヨガや、禅の世界ってのも思い浮かぶ。
まあ正確に言ったら、精神統一を求める座禅は、瞑想とはまた別モノになるのかもしれないが。
要は、「心を静めて内観する」というのが、瞑想の一般的な理解だろう。
一般庶民の輝かしい代表として言わせてもらえば、「心を静めて内観する」のは、ものすごーく難しい。
なんちゃって瞑想の一回でもしたことがある人ならわかると思うが、
ただ静かに座って「集中」したり「無心」になったり「内観」したりってのは、はっきりいって数分持たない。
数分どころか、数秒も持たなかったりする。
瞑想の仕方を指南しているものの中には、「ゆったりとした呼吸に注意を向けて・・・」というのがよくあるが、
呼吸を意識している時点で、すでに「無心」ではいられない(^_^;)
(吸って・・・吐いて・・・吸って・・・吐い・・・・ちょっと寒いな)
(・・・・吸って・・・・あ、お腹なった・・・)
(吐いて・・・・あー、腰痛いな・・・・終わったらサロンパス・・・・あれ?買い置きあったっけ?・・・)
(吸って・・・そういやマツキヨ行かなきゃ・・・すぐに忘れるんだよね・・・吐い・・・・)
心も頭も、次から次へと思い考えていたことにタイマーのアラームとともに気が付くだろう。
そして思うのだ。
「瞑想」が「迷走」したと。
はい、座布団2枚持ってってー。
いや、まあね。
ワタシが人より集中力が足りないだけかもしれないけどね。
目覚めちゃった人とか、達磨さんとか、宮本武蔵とかさ。
聖なる人とか「瞑想」の達人ならいざ知らず、普通の人には数分の「無心」だって難しいはずなのよvvv
でも、ちょっとまって。
「同じ音には同じ思念が宿る」
それなら「迷走」だって「瞑想」と同じ思念があるんじゃないの??
じゃあ「迷走」とは、言葉からみるとどんなものだろうか?
「迷走」・・・ 定まった道や予想される道を大きく外れて進むこと。
あらあらまあまあ。
ここに「外れる」ってあるじゃないの!
とすると、読み解きとしては、
「思考(志向)すると、伝わるものから外れたところに生まれ出るもの」
「思考(志向)が、伝わるもの(人・陰)から外れたところに生まれ出るもの」とすれば
流れの良い文章になりそうだ。
ここでもう一度、瞑想についてどういうものなのか考えてみよう。
瞑想すると、思考(志向)が物質である人の身体から離れ、(陰から外れた)見えない世界に生まれ出る。
それは、予想もつかない場所へと次から次へと進んでいく「思考の迷走」ともいえる現象だ。
つまり、瞑想とは、「思考(志向)が人の身体から離れて、(陰から外れた)見えない世界へと生まれ出るもの」と読める。
数靈は、10+5+30+19=64 6+4=10 逆引きすると「メ」・・・思考する(志向する)
回り回って、また「メ」になる。
つまり、「思考」が外れたところに生まれる状態が「瞑想」の本質であり、「迷走」にも通じていたわけだ。
「思考が外れる」とは、ついさっきまで思考してしたものから外れて新たな思考へと志向することともいえるし、
いわゆる顕在意識から離れた潜在意識へと向かうことともいえる。
思念からモノの本質を眺めると、「言葉」だけでは知りえない実に様々なカタチが見えてきて、毎回新鮮な思いがする。
この気持ちはなんだらふ、恋(こひ)かしらんってな具合である。
ふざけてるような「瞑想が迷走」って言葉にだって深い意味を探り出せるんだから。
いやはやカタカムナは面白い(^^♪
さて。
「瞑想」には様々なやり方がある。
足を組んで座って行う定番の形や、椅子に座ったままや、ゆっくりと歩きながら行う方法もある。
静かに自分の内面へと降りていくようなものもあれば、ひたすら無心になることを求めるものもある。
他にも、ひたすら呼吸に注意をむけるもの。
青い空や静かな湖面という景色をイメージしながらするもの。
音楽をかけてやることもある。(音楽をかけて無心になれるかどうか頭の中に疑問符が乱舞するな)
目指すものも求めるものもいろいろだ。
その中にひたすら「自分の状態を観察する」という瞑想方法がある。
自分の中に沸き起こる様々な思考や感じたものを、そのままに観察していくのだ。
「今、ここ」にいる自分が、何を感じているか。何を思っているか。
ただただ観察し、次々と生まれてくるものを流していく。
お腹が鳴れば「胃が動いてるな。お腹がすいてるんだな」と思い、
ラーメンが思い浮かべば「あ、今ラーメンが食べたいって思ったんだな」と思い、
親が気にかかれば「心配してるんだな」「不安に思ってるんだな」と思い、
寒いと思えば「身体は寒いって感じてるんだな」と思う。
思った先から手放していくと、次々と新しい思考が生まれては消えていく。
「瞑想が迷走」を実際に行う瞑想方法が存在するのだ。
「内観する瞑想」や「無心になる瞑想」がどうしても数秒以上続かない我らが同志がいたら、
是非「迷走する瞑想」を試してみて欲しい。
自分の思考が思うがままに迷走することを許してみるのだ。
軽く肩を回したり、伸びをしたり身体を緩めたら、出来るだけ背骨をまっすぐにした状態で楽に座る。
胡坐をかいても、椅子に座ってもいい。
特別に呼吸をゆっくりにする必要はなく、自分が気持ちよく自然に呼吸できていればOK.
そして、心と身体を静かにさせる。
瞑想中にいろんな考えが浮かんできても無理に消そうとか、集中しようとか考えなくていい。
これなら10分~15分くらいあっという間に過ぎていく。
タイマーが「もう終わりだよ」とブーブー言ってきて、
「うーん?ぜんっぜん瞑想出来た氣がしないんですけど?」と思っても問題なっしんぐ。
瞑想直後は、なんら変わったことが起きてるようには感じないが、効果は不意に現れる。
それは劇的なものではなくて、
「なんかちょっと調子いいかも」
とか、
「なんかちょっと元気かも」
とか、
「なんかちょっとスッキリしてるかも」
という現れ方なのだが、お勧めだ。
さー。
来週はなんにしようかね?
いつもここへきて考えるな(笑)
えーと、そうねー。
ここんとこ精神学的な言葉が多かったから、ここはイマドキの単語でいってみようか。
「インスタ映え(インスタバエ)」で(笑)
イ・・・思念は、陰・伝わるもの 数靈は、5
ン・・・前の音の意味を強める「大いなる~」 数靈は48
ス・・・思念は「一方へ進む」 数靈は21
タ・・・思念は「分かれる」 数靈は26
バ・・・思念は「(反対方向へ)引きあう」 数靈は、-42
エ・・・思念は「移る、映る、写る」 数靈は43
そのまんまな気がするな(笑)
前出の音もたくさんあるので、読み解き楽しんでみて欲しい。
では、次は来週12/13(水)に。
このあいだ、相棒が見つけてきたジンの専門店に誘われた。